どうも。

仰々しいタイトルをつけてはみたものの、どういう話かというとアニメの「けいおん」を見たという、そういう話。

 

けいおん!! | アニメ動画見放題 | dアニメストア

 

 

私は定期的にアニメを見るのが好きで、映像作品を見るとなるとアニメしか見ないくらいには生粋のオタクな訳だが、アニメを本格的に見始めたのは大学生からだ。そういうこともあり、最新の話題作は結構見ているが、超人気名作というような作品には意外と触れていなかったりする。

でもアニメが好きな人間としては、やはりそういった作品にも触れて、アニメの変遷に触れておきたいという気持ちはやはり存在する。

こういったアニメの歴史の一部を牽引したと言われる作品にはその理由があるということは、作品に触れる中で何度も強く感じる部分だ。正直なところアニメの制作技術は当然ながら今に劣る中でも見劣りしない作品であるということには、現代の映像美を超えるストーリーの面白さ、演出、そして作品の魅せ方やキャラクター性がある。(歴史を作ったという意味で、美化された過去であるという側面もあるが)

 

話を戻す。そんな中でも今回「けいおん」を選択したことには理由がある。それは2022年冬の覇権アニメとも言われている「ぼっち・ざ・ろっく」(以後ぼざろ)の影響が強い。

ぼざろもけいおんも題材としては「高校生がバンドをする物語」という大枠の話が存在する。また原作も「まんがタイムきらら」という雑誌の連載漫画であることから、作品の系統を推察していた。逆に言うとその2作品をその大枠の部分だけで理解して、作品を見始めたという経緯がある。

しかし箱を開けてみると全く違う魅力や作品としてのメッセージ、伝えたい思いが強くあった。今回はけいおんの記事なので、ぼざろについても軽く触れつつ、けいおんについて深く考えていきたい。

 

 

【ぼっちざろっくとけいおんの相違点】

まずこれを論じる前の大前提として、これはどちらかを批判するための意見ではないということをあらかじめ明記しておきたいと思う。

ぼざろを見て私は、「ああ、これは音楽のアニメだな」という感想を抱いた。ぼざろは音楽をやる女子高生たちの物語であり、その物語の主軸はあくまで『音楽』にある。つまり誤解を恐れずに極端な話をすると、後藤ひとりはおっさんでも良いという話である。

一方けいおんは、「これは女子高生の物語」という感想を抱いた。つまり媒体こそ同じであるが、物語の根幹がそもそも違うというところを強く感じた。物語の主軸は「女子高生たちの青春の1ページ」というところにある。

ぼざろを見ているときは「結束バンドは音楽に人生をかけていて、本気で日本武道館に立つつもりで努力している」ということが伝わってくる。

一方けいおんはというと、音楽に人生をかけている訳ではない。彼女たちも物語の序盤では日本武道館に立つという目標を掲げて活動していたが、最後の方では日本武道館の「に」の字も出ないほどに意識していなかったように感じる。放課後ティータイムはあくまで青春を楽しむための手段として音楽が存在し、彼女たちが高校生を卒業して、大人になったときに音楽を続けているのかというと疑わしい。

 

ぼざろを見てけいおんを見始めたという人は案外に少なくない。私の周りにもそういった人間はいたし、インターネットを見てもそういう人間は多くいた。そしてそれらは口をそろえて「思ってたのと違った」とお茶を濁す。当たり前である。そもそも前提が違うのだから。

 

 

 

作品一つ一つを噛み砕いて考えてみると、その作品のメッセージ性が伝わってくることは多く、私はそういったことを読み取るのが好きだ。正直メッセージ性が感じられない作品も多く存在するが、その中でもけいおんには心に刺さるものがいくつもあった。単に萌えアニメという訳ではないと強く感じた。

けいおん!性格がとてもかわいい!あずにゃんこと中野梓の魅力を紹介♪ - アニメミル

特にこの作品を彩っているキャラクターとして最も重要だと思っている、中野梓という女の子。

放課後ティータイムのメンバーはほとんどが同級生となっている中、中野梓だけは一つ下の年齢となっている。彼女は作品の中である意味一番の「常識人」であって、ぶっ飛んでるメンバーの中で突っ込みをいれたりとか、そういった役回りになっている。でもそんな中にも彼女の思惑があったり、ストーリーがあったりする。

彼女は昔から人間関係を築くのが苦手な節があるが、大好きな音楽を通して大切な仲間たちと出会う。残酷にもこの作品は高校卒業までを描いている作品なので、当然彼女は一人軽音部に残されてしまうのだ。(最後のシーン、ボロ泣きしました)

ラストシーンではそんな先輩たちから中野梓のために曲をプレゼントされる。そして彼女は、他人のために涙を流すという経験をする。(ここでもある意味「放課後ティータイムとしての終わり」を語っていて、ぼざろとの違いが表れているという話もある)

 

今回は中野梓に限って話をしたが、過去と現在の対比は全てのキャラクターにおいて存在して、常に彼女たちにとって現在が最高の思い出になっていると伝わる。またその塩梅やバランスもとてもよく、見ていて気持ちが良い。多少のストーリー性はありつつも、ある意味ラフなところがあって、女子高生の青春を除いているような印象を強く持つ。

 

 

 

話を振り出しに持ってくるが、全ての名作が現代での名作と言う訳ではないと思う。でもその中でも今にも通用するようなメッセージは存在して、とても楽しかった。21時間の感動をありがとう。