【リーダーは孤独だと思っている人へ】 | Live with Max.

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世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。




2日間の支配人会議に出席してきて、支配人の皆さんを見ててふと思い出した話。

 もう2ヵ月くらい前の話ですが、偶然、新しい支配人が着任した店舗を転々とまわっていた時のこと。

『支配人は孤独だと聞いたんですけど、そういうものなんですか?』という、とある新支配人からの質問。

 リーダーが現実を見て、全体的なことを考えて判断しても、メンバーの中には個人的な思いや理想、正しさだけで、異論を唱えたり、逆行する相手がいることもある。でもそこには責任感も覚悟もあまりない場合もあって、『やるべきこと』ではなくて、『やりたいこと、やりたいくないこと』だけで簡単に意見してくることもあります。

 そういうことで悩んで、『メンバーが全員同じ方向を向いてくれない』ってことにフォーカスしちゃって『あぁ、リーダーは孤独だってこういうこかぁ』とか考えてしまうんじゃないだろうか。

 でもそういう意味じゃなくて、自分が最終的な決断しなくてはいけない、責任は自分が背負う覚悟を持たなくてはいけないってことを「孤独」という言葉で説明しているだけがほとんどだろう。


 本当の孤独ってのは、会社であれば職場に心を通わせる相手が誰もいないってことですよね。もしそうなのであれば、それはリーダーだからではなくて、その人の人間性の問題の方が大きくないかな。

 自分が良いと思うことをメンバーに理解してもらおうと努力するのは良いけど、それをどう受け取るかはメンバーの課題であって、リーダーのではない。そこに踏み込むからおかしなことになったりする。相手がどう捉えるかを変えてやりたいと思ったら苦しくなる。


 新たにリーダーの立場になった人には知っておいてほしい。リーダーになったからといって孤独だなんてことは決してない。相手の課題に踏み込まず、たとえ自分を理解してもらえなくても、批判を浴びようとも、それでもなお「自分から」相手との良い関係を築こうと努力したいところである。相手次第ではなく、常に自分からだ。実にシンプル。


ところでドラッカー先生はこう言っている。

「リーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に確立することである。」

 自分が目指したいものもあるだろうが、「組織の使命」を一番に考えられないようではリーダー失格なわけですね。批判・異論を恐れずに使命を果たす勇気も必要。そういったことでは、正確な意味ではないが「孤独」と言いたくなるもの分からなくはない気もする。
 
 そこで悩んで、使命を果たすことを躊躇したり逃げたくなったりする時があるのも、人間らしいと思える。
 でも使命を果たさずに自分がやりたいことに傾倒となるとそれは単なるエゴですよね。マイナスになるのは、自分の預金口座ではなくて会社ですから。この感覚が麻痺したらもうお終い。

 でも実際、この感覚ってのはなかなか難しくて、やっぱりより責任の重い立場とかを経験していくことも必要なのかも知れない。僕も未だにうっかりしていて上司からそこを気づかされることも少なくありません。

 またドラッカー先生は、こうも言っている。
『リーダシップとは人を引き付け、人に影響を与えるものではない。』

 組織の使命を果たすためには、メンバーを通して結果をだすことですよね。人を引き付け、人に影響を与える力はあった方がいいように思える。しかし逆にそれがあったからといって組織の使命を果たせるかどうかは別問題とういうのは事実。

 ということを考えると、「なんで?どういうことなんだ?」と感じてしまうが、この疑問に対してもドラッカー先生は実に明確な答えをだしている。

「リーダーシップとは仕事である」

 リーダーシップを仕事として捉えることが、リーダーの条件だといういことになる。決してカリスマ性だとか、資質によるものではなく、誰もがリーダーシップを発揮することができるということ。

 改めてドラッカー先生に目を通すと、シビアな気持ちになり現実をしっかり見ることに自然と集中させられますね。
 自分のビジョン、理想を打ち出し掲げることは良いけど、「組織の使命を果たす」、つまり、まずは責任ありき。
 マネージャヤーとは『責任はあるけど権限はない』と思ってしまうようなことが多々起こる。これも本当にシビア。だが責任を果たしてこそ権限が生まれることには何ら異論はあるまい。そこが逆になったらもうビジネスではなくなる。組織の成果に責任を持てないリーダーなど話になりませんから。

 ドラッカー先生も、組織社会における唯一のリーダー層はマネージャーであり、マネージャーとは「組織の成果に責任を持つ者」と定義している。「リーダーシップとは組織の使命を果たすこと」というのにも繋がっていますね。
 その一方で「部下の責任を持つ者ではない」と言っているところも、いかにもドラッガー先生。これは先に述べた、「部下の課題に踏み込んではいけない」というのと恐らく同じ意味だろう。これについては、別な機会に。

 この辺をしっかり理解せずに、「やりたいことと」と「やるべきこと」を混同してしまうとおかしなことになる。
 責任を疎かにして、やりたいことをやろうとしたり、権限を得ようとすることに走ってしまうと、責任を問われた時に上司やメンバーを無意識に敵だと見なしてしまいます。
 しかし本当の意味で原理原則を理解していればそのようなことは起こらないということなんですよね。『組織の使命を果たす』、それがリーダーシップという『仕事』なんですから。


 こんなこと書いていると、やっぱりリーダーって孤独なのか?ってついつい自分でも考えだしそうです。孤独を受け入れないリーダーは2流だ!とか言っている人もいるだろけど、でもやはり僕はそんなこと決してないと信じている。

 使命を果たすために進む時、ついてこられないメンバーがでたり、慕われなくなったり、批判も浴びてしまうかも知れない。でもそれは孤独とは違う、と言いたいのです。
 

 相手と良い関係を築こうと差し出した手を、相手にはじかれるかも知れない。
 そしたらその相手を仲間と見なさないのか?

 自分のやることを批判するのなら、仲間ではないのか?

 自分を支持してくれて、いつも助けてくれるから仲間なの?

 自分と気が合うから良いメンバーなの?

 それじゃただの交換条件じゃないか。助け合う、協力し合うのも仲間だけど、たとえ一方通行でも、自分が相手のことを仲間だと信じて、助ける、協力する、良い関係を築こうと努力し続けるのと、「あの人は、自分のことを嫌っている」と思って仕事を続けるのと、どちらが自分の人生にとって良いか。相手次第ではない、どちらかになるかは自分が選択できる。
 

 相手に向けた指をグルリと回して自分に向けたい。孤独を感じるのは、相手が自分から離れていくからではなくて、その逆だと僕は思う。孤独かどうか?それは自分の主観で変えられる。

 
 以上をドラッカー先生の言葉と融合させるとこういうこと。

『組織の使命を果たすことを最優先』なおかつ『周囲にいる全ての人は仲間だと信じること』



「支配人は孤独だって聞いたんですけど。。。」の話からだいぶ長くなりましたが、これが今日のまとめですね。

 いやいや、そんなこと言ったって、相手から避けられたり、嫌われて、それでも仲間だと信じ続けることなんてできるの?と思われるかも知れない。

 そんな人へ、僕が折に触れて読み返すようにしている言葉を最後に紹介します。
あのマザーテレサも引用したというケントMキースの『逆説の10カ条』の1つを。


 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。




『それでもなお』の意味は?


いや、そこに特別な意味も理由もない。だから良いのです。仲間だと信じることに理由などなくてもよいのです。それが良いことだと信じるならば、それだけが判断基準でいいじゃないか。僕はそう思う。