そういう場で、力を抜いて周囲を観察していると改めて『みんな、いいなぁ』と思う。日頃は何かを指摘したり、叱ったり、気を遣わせあったり、喜んだり、感謝したり、スタッフ一人一人に対して、毎日のように色んなことを考える。
色んな感情や見方がありながらも、やっぱり大事なのは人の入れ替わりや何か困難なことが起ころうと、『今いるメンバーがベストだ』、いつでもそう信じることが大切だなぁと。誰に何の不満もあるまい、仲間だ。皆の笑顔をみながらそんな気持ちにさせれるものだ。
そんなことを考えながら、ふと思い出した。以前の僕は、実は飲み会が苦手だった。酔って楽しくなるのはいいが、逆に不平不満や他者批判を周囲へぶちまけたり、言動が荒くなるような人がいると、すぐに帰りたくなる。20代の頃に、そういう嫌な思いをさせれる場を何度も経験したり、自分も巻き沿いを散々食って本当にそういうのに嫌気がさしていたから。
人を不快な思いにさせて、巻き込んだりして、『酔った勢いで』を理由に使うのは腹がたってしょうがなかった。まるで、本人ではなく『お酒が悪いんです』と言っているようなものじゃないか、と。以前の僕は『それで済ませる気か?』というような感じだったんですね。無礼講とかいうのも、あまりいいものではないと。皆が集まるお酒は楽しく飲もうよう!って感じ。
でも、ある時、購読していたメルマガで論語のこんな言葉を知り、なんとなく今までと考え方が変わってきた。
『子曰く、人の過(あやま)つや、おのおのその党においてす、過ちを観(み)ればここに仁を知る』(意味:誰にしろ、いかにもその人らしい失敗をやる。失敗を観察していれば、その人の人間性がわかる。)
お酒を飲んで言動があらくなったり、場の空気を悪くするようなことを何も気にせず言ってしまうような人は、別に悪気があるわけではないだろう。でも、この言葉通りに考えるのであれば、それを繰り返す人は、それがその人の本当の人間性だということになる。
でも、お酒が入って、普段はしっかり保っていた理性が緩み、ついそういう本音部分がでたからといって、『それがあなたの本性だ』と言ってしまっては相手の立場を悪くさせてしまうだろうし、自分も『あの人の本音はどうせ違うだろう』とか疑ったりしてしまうだろう。
それでは人間関係がギクシャクしたものにもなりやすくなってしまう。だから相手の酔った勢いでの言動や姿が本性を表していて、相手があとから後悔するようなことならば敢えて目をつむっておく。なかったことにしてもいいじゃないか。
メルマガで論語のその言葉を知ってから、そんなふうに考え方がかわりはじめた。お酒の入った状態での言葉や行動ならば、人間関係を良好に保つために目をつむろう。その相手をどう見るか、僕は今までと何も変わらない。
お酒で酔ったせいだからしょうがないではなく、それが理性の緩んだその人の真実であり、それによって相手に後悔や気まずい思いを味あわせないようにしてあげようということだ。
そのメルマガに書かれていたことを深く考えてみると、確かにそう思えたら、僕自身も嫌な気持ちにならないし、相手もそのことを気にしなくて済むなぁ、あぁそれもいいなぁって思えた。
そう思いつつ30代になっても、僕もお酒で気が緩み失敗して、あとから申し訳なく思って猛省したり、なかったことにしたいと思ったことはあった。だからそう思うと同時に、自分の理性が緩んだ時の態度には気をつけなくてはいけないと思えた。お酒が入って例え隠れていた本性がでようと、それが自分の真実だと素直に認めるつもりで言葉や行動を選ぶ。
お酒で気が緩むのは事実でも、それが自分の真実であることを自ら曲げることはしない。しかし相手のことには目をつもろう。相手に対して僕は何も変わらない。そんな態度でありつづけたい。
考えてみると、20代の頃にそういう経験もあったからこそ、今になってそう思えるのかな。二次会を終え、帰り道をキックボードで漕ぎながら、そんなことを考えていた。
飲み会では必ずGCSとファットブロック常備のタムさんは、この日ももちろん!

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