メアド付きでのメッセージ、もしくはアメブロでのメッセージ(アカウントをお持ちでしたら)をいただければ、事情と書き上げた内容についてお伝えさせていただきます。何卒ご了承下さいませ。
*******************************************************************************************
さて、今日は絵本の話。かなり有名になった絵本らしいので、ご存知の方もきっとたくさんいらっしゃるかもしれない。
「おこだでませんように」
くすのきしげのり・作 石井聖岳・絵(小学館)

有名だということで、いったいどんな絵本なのか気になり、だいぶ前に買って一度読んだきりだったが、書棚の整理をした時に、ふと取り出し読み返したみたところ、最初に読んだ時と全く違う印象、気付きを得たので、ここでご紹介してみたくなった。
この絵本の内容も確かに素晴らしいし、絵もみればみるほど、登場人物の感情の動きがリアルに伝わってくるほど素晴らしいです。
いくつか文章を引用しながらご紹介したい。
『ぼくは いつも おこられる。いえでも がっこうでも おこられる。』
こんな書き出しでスタートする。
主人公の『ぼく』は、小学校一年生のお兄ちゃん。家でも、学校でも、何かをするたびに怒られてばかり。そんな『ぼく』の心の声を描いた内容。
家ではお母さんに怒られる。
お母さんが仕事で帰りが遅い時、妹と遊んでやろうと、折り紙をつくる。すると妹は、その折り紙をみて、『こんな ぐちゃぐちゃな おりがみなんか いやや。 おかあちゃんは もっと じょうずやもん!』と言い、『ぼく』がそれに対し怒ると、妹はすぐに泣いてしまう。
そしてお母さんが帰ってきて怒られる。
『また いもうと なかして!』
『(いもうとのくせに わがままばっかり いうからや)』
『まだ しゅくだい してないの!』
『(いもうとと あそんでやってたからや)』
『けれど、ぼくが そういうと、おかあちゃんは もっと おこるに きまってる。』
『だから、ぼくは だまって よこをむく。』
カッコの中は「ぼく」の心の声。僕はこの気持がよく分かる。自分には理由があるのに、それをうまく言えなかったり、言ってもどうせ余計に怒られるから黙りこむ。
学校では、友達とうまく調和できずに先生に怒られる。
休み時間にマーくんとターくんがサッカーの仲間に入れてくれなかったので、その理由を2人に尋ねるとこう言われた。
『おまえは ルールを しらんし、 らんぼうやから なかまに いれてやらへん』
『ぼくは くやしかったので、「あーあー、 そうですか。こっちこそ たのまれても いっしょに あそんでやらへんからな」と いうてやった。』
『いいながら、ぼくは マーくんに キックを して、 ターくんに パンチを した。すぐに ふたりは なきだした。』
そこへ先生がやってきて、また怒られる。
『(ふたりが さきに いじわる いうたんや)』
『けれど ぼくが なにか いうと、 せんせいは もっと おこるに きまってる』
自分なりの理由があるのに、それを分かってもらうこともできずに、いつも怒られてしまう。
そして7月7日、七夕の日。学校で児童たちがみんなで短冊に願い事を書く行事。やりましたよね、小学校の時、僕も書いた記憶がある。この時に「ぼく」が書いた一言が、思わぬ展開をもたらしてくれる。
『マーくんと ターくんは、「サッカーせんしゅに なれますように」』
『ともちゃんは、「ピアノが じょうずに なりますように」とかいた。』
『ぼくは、かんがえた。いちばんのおねがいを かんがえた』
『いっしょうけんめい かんがえていると、「はよう かきなさい」と、またおこられた』
『ぼくは、しょうがっこうに にゅうがくしてから おしえてもらった ひらがなで、いちばんのおねがいを かいた。ひらがな ひとつずつ、こころを こめて かいた。』
『おこだでませんように』
すると先生は、その短冊をじっと見つめて、涙を流し始める。
『せんせい……、おこってばかりやったんやね。……ごめんね。よう かけたねぇ。ほんまに ええ おねがいやねぇ。』
『せんせいが ほめてくれた!!』
『ぼくは おどろいた。 さっそく おねがいが かなったからや』
『そのひの よる、せんせいから でんわが あった』
『でんわが おわると おかあちゃんが、いつも いもうとに するみたいに ぼくを だっこしてくれた』
『ごめんね、おかあちゃんも おこってばっかりやったね』。そう いいながら、おかあちゃんは、ぎゅうっと だきしめてくれた』
母親と先生がどのような気持だったか、何となく理解できる。「ぼく」を叱ってばかりいたことを反省している気持が。
でもですね、主人公の「ぼく」は、考え方も行動も間違ったことをしてしまっている。
妹をなかせたのは、妹がわがままだから。
宿題が出来ないのは、妹と遊んでやってたから。
マーくんと、ターくんにキックとパンチをしたのは、2人が自分を仲間はずれにしたから。
自分がしたことは棚に上げて、全部人のせいにしてしまったり、友達に乱暴をするという行為にまで及んでいる。母親や先生が怒るのは当然ではないだろうか。
それを誰も叱らずに育ってしまったら、「ぼく」は間違った人生を歩むことにもなりかねない。そう思い叱ることを、親や先生といった大人側の視点でみると、それも『愛情』という見方になる。
しかしこの絵本、ここで一瞬考えさせられる。
この「ぼく」は、ずっと怒られ続けている。
つまり、怒られても、怒られても、一向に変わらず、間違った考え方と行動を続けてきているということ。だとすれば、親や先生が怒っていることは効果がないということではないだろうか。大人にとっては愛情のつもりだが、子供にとってはそうではない。愛情と受け取ることができない。
なぜなら「ぼく」には人のせいにしているとはいえ、その行動をとった理由がある。しかし母親や先生は「ぼく」の理由や気持ではなく、行動に対して叱るという行為をとっているから。そしてそれが愛情であると思っているのではないだろうか。
もし、母親や先生が「ぼく」のとった行動だけを叱るのではなく、その前に「気持」を認めてあげようとしていたら、どうだったろう?
怒ってばかりだったことを先生は泣きながら謝り、願い事を『よう書けたねぇ』と褒め、母親も『ごめんね、怒ってばっかりやったねぇ』と謝り、いつも妹にしているように「ぼく」を
ぎゅっと抱きしめた。
『おこだでませんように』という願いが叶ったと思い、その後「ぼく」は、こんなふうに言っている。
『たなばたさま ありがとう。 ほんまに ありがとう』
『きょう、ぼくは ものすごく しあわせです』
『おれいに ぼく もっと もっと ええこに なります。』
ここでこの絵本は終わる。叱るのではなく、「ぼく」の気持に母親と先生が気づき、それを認めてああげると「ぼく」は、『もっとええこになります。』と見事に成長した。
叱っても、叱っても効果が無かった「ぼく」が、ついに『ええこになります』という宣言をした。
大人である「せんせい」と「おかあちゃん」が「行動を叱る」のではなくて「気持を認めてあげた」ことによって、ついに「ぼく」は変わったのです。
絵本はここで終わりなので、その後「ぼく」が本当に変わったかどうかは分からない。
でも、ここで、この絵本を読んだ大人へ向けたもう1つの大きなメッセージが隠されているのではないだろうか。
変わったのは「ぼく」ではない。「せんせい」と「おかあちゃん」だった。その時に「ぼく」は成長したのではないだろうか。
何かを感じていただけた方は、ぜひお買い求めいただき、読んでみていただけたらと思います。
この程度の引用では感じることの出来ない、この絵本の深さに、きっと涙が溢れると思います。
おこだでませんように←Amazonです。
***************************************
いつも、クリック投票にご協力いただき、ありがとうございます。
皆さんの反応が、内海に情熱と勇気を与えてくれます。
今日の内容はいかがでしたか?
良かった、と感じた方は
↓是非ワンクリックお願い致します。
clap.mag2.com/cainoniric?20131021