この世に間違わない人間などいない。
にも関わらず悩ましいことに、人は時に間違いを認めるのを嫌うこともある。
しかし認めるならば、それを自らの責任と考え正そうとするか、他人や状況のせいにするかという選択肢がある。
他人や状況が悪いというならば被害者を演じ続ければ良いが、自分の責任だと思うならば自分を責めたり後悔したりするか、反省をしてそれを糧に前進するかという選択肢がある。
自分を責めることというのは、簡単で誰にでも出来るしそこから得られるものも少ないが、反省をしてそれを大きな糧とするならば、今後自分がどうあるべきなのかということを、時間がある時に何となく考え始めるか、すぐに真剣に考え始めるかという選択肢がある。
時間がある時に考えるというならばその程度の誠意であり、大したことは思いつかないだろうから別にいいが、すぐに考えるならば『努力したい』『出来るようになりたい』という意気込みレベルか、『必ずやる』と決意をして行動に移すという選択肢がある。
意気込みレベルなのであれば、やがてそれはすたれていくが、決意をしてそれを行動に移すとなると、結果が出る前に諦めるか、出るまで諦めないかという選択肢がある。
決意と行動を起こすところまでは難しくないが、結局のところそれを諦めずに続けられるどうかが全て。
人生における大きな選択肢というのは、何も特別な状況だけではなく、実は日常的に起こる間違い、失敗、挫折といった中にも、常に存在しているものなのかもしれない。それらを糧とし乗り越えるということは、絶対に諦めないこと、言い訳せずに何度でもやり直すこと。
昨夜はモモと一緒に久しぶりの神社参り。
決意を報告しつつ、そんなことを考えていた。
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