【人を責めない、自分も責めない】 | Live with Max.

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世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。

少し前に矢口真里さんの離婚についてをテーマにした時、人間関係のことに触れたとこころ、その部分についてでしょうか、こんなメッセージをいただいた。




『内海さんは仕事上での人間関係を度々話題になさいますが、自分も毎日、葛藤の連続です。自分が良かれと思って、自らを犠牲にして行動したことが相手に響かないとイラつきますし、叱る気持ちを我慢してるにも拘わらず、改善が見られないと爆発しちゃいます。』


メッセージありがとうございました。


メッセージを下さった長谷山さん(仮名)は、こういう言い方は好まれないかもしれないが、一般的に言うところの『おかたい企業』の管理職をされている。


ゆえに『人や組織の悩み』は尽きないことだろうとお察し致します。


ご本人もメッセージに書いたようなことに、ずっと向き合い、悩み続けてきたことを認めていた。



しかし、これはリーダーであったり管理職と呼ばれる立場の人間であれば、どこでも、いつでも共通の悩みではないだろうか。


僕は長谷山さんのようなご立派な人格の方に、管理職者のアドバイスなど、とてもじゃないが出来るほどの人間ではありません。


でも、長谷山さんの苦しさは僕にもよく分かるような気がする。


メッセージを読んで僕自身が体験したことから変化したことをお伝えする程度しか出来ませんが、少しでも長谷山さんが苦しさから抜け出せるのにお役に立てれればと思います。




ゲオに入社したころ、当時はゲオフィットネスは発足したばかりで人財が不足していたのか、僕は福岡にある店舗の責任者として、いきなり着任することになりました。


しかし、僕はその頃ちょうどフィットネス業界への転職するためにトレーナーとしての勉強をしていましたし、指導ということに関しては、当時はそれなりの自信を持って向かったわけです。


『僕が持っているものを周囲に伝えて、皆も出来るようになっていけば、いい店舗になっていく!』

そう息巻いて、希望と期待を抱き意気揚々としていました。


しかし、僕の鼻っ柱がへし折られのにそう時間はかからなかった。


オープン一週間前に着任したばかりの僕に待っていたのは、そこで既に仕事をしていたスタッフ達の不満の嵐。


辛抱しながら、何とか仕事をしていくものの、オープン直前の忙しさと、スタッフへの対応に神経を使いながら、長谷山さんと同じように思いました。


『何でこっちはこんなに我慢しているのに、向こうは分かってくれないんだ?ああいいう態度はないだろ!僕は何も分からずここに来たばかりだと言うのに!』


僕は我慢の限界に近づき、相手を責め始めていた。


しかし一部のスタッフとコミュニケーションがうまく取れず、周囲へも気を遣わせていないだろうかと不安も感じ、どうにかしきゃと思い始めると


『いや、やっぱり僕の接し方が何か間違っているんじゃないか?このまま気まずい感じを引きずっていては、全体の雰囲気にも影響してしまう。』


やっぱり何か自分に問題があるのではないだろうか?
ようやく指先をぐるりと自分へ向けてみた。


素直な気持で振り返ってみると、何となく自分の言動の問題点も思い当たる点がいくつか見えてきた。


自分では感情を抑え、自分を犠牲にしているようなつもりでも、それは相手に伝わってしまうのではないだろうか。


下から何を言われようと、最終的にはトップダウン的な業務指導やそう捉えられてもしょうがないような言動。


相手の話を聞く態度や、話す時の表情。


当時の僕はその相手に対して


『僕のことをこう思っているはずだから、僕もこういう態度をとるようにしよう』


『僕がこういうことをすれば、相手はこういうことを言ってきたりしてきたりするだろう』


『こっちからこいう態度や言動を続けていけば、向こうもこっちの気持ち気づくだろう』


というようなことをよく考えていたことに気づいた。


相手が何を考え、どういう行動に出るのかを自分の中で決めつけたり、相手に何も言わずに、行動や態度だけで自分の気持ちを分からせようとしたり。


自分の気持ちをうまく伝えることを放棄し、自分の思い込みだけで意図的に相手との距離をとるようなことをしてしまっていた。


そのことに気づき、自分のやっていることが卑怯で、それは相手を無視しているのと同じではないか?そう思えてきた。


やっぱり僕の接し方が間違っていた。
それ以前に相手を尊重できていない、人間として未熟過ぎることを痛感せずにいられなかった。


でも、そうやって自分を責め始めると、今度は精神的に病んでくる。


相手を責めても、自分を責めても何も変わらない。
結局気が滅入るだけ。


しかし、僕にとって幸いしたのはオープンしたばかりの店舗だったので、自分の言動を振り返り、グジグジと自分を責めて後悔している暇すらもなかったこと。


もう今から出来ることに専念していくしかないと、考えることが出来たことではないかと思う。


それ以降、僕は相手がどんな態度をとってきても、誰に対しても公平な、快い態度を心がけることからはじめようと決めた。

それは決して相手に自分を良く思ってもらおうなどということではなく、相手がどういう態度でこようと、それをどうこう言わない、思わない。絶対に自分に軸を置くこと。


僕は誰に対しても変わってはいけない。微妙な変化を相手はすぐに察する。


よく考えると

自分がこんなふうに態度を改めているのに、何で相手は変わってくれないんだ!

そんなふうに思っていたこと自体が、相手にもこっちが望むような態度をとらせよう、相手を変えてやろうという気持ちにまみれた、考えだったことに気づいた。

それは単なる交換条件じゃないか。

そんなことでどうやって相手の気持ち動かし、良い人間関係を築いていけるというのか。僕はそんなことも分からなかった。


僕が何を言ったところで、相手がそれを受け入れてくれるような状況ではなく、強制的に従わせることも出来たかも知れないが、反発を生めば、ますます自分が疲弊してしまう。


これだけ忙しい状況で、これ以上相手に振り回せるのだけは勘弁して欲しい、無理だ!


まったくこういう立場に立つことを経験したことがなかった僕は、正直に言うとそのことに怯えていたのだと思う。

そして自分を守るためにこう考えた。


まずは誰がどんな態度でいようと、自分の態度を変えないように自分を変えること。


交換条件をやめ、相手に何も求めず、単に自分が変わる以外に、抜け出す方法はない。


当時は必死だっただけで、もうそれしかないという気持ちだったと思う。


それで相手との人間関係がすぐに円滑になったかといえば、そうではないが、僕のイライラや自己嫌悪は自分でも気付かないうちに消えて解放され、穏やかな心でいられるように変わってきた。


自分を責めない。
相手を責めない。

今いるその場で出来る事に集中する以外に苦しさを克服することは出来ないと僕は思う。


それが出来なければ仕事を変えてもまた同じことの繰り返しだろう。


ちなみに問題だった一部のスタッフとはその後、徐々に平和的な関係を築く事ができた。


むこうも僕と接する度に自分の態度を変化させることに疲れてきたのかも知れない。それだけの理由だとしても十分だった。


そのスタッフ達も辛かっただろう、自分の態度を変えてしまうような状況が続いて、そう思うとより一層の愛情や親しみを持って接してあげたい。僕は自然とそんなことを考えていた。


そう思ったとたん、スタッフたちの良い面というのがどんどん見えてきて、仕事を終えてからも、その場面を思い出したりもしていた。


僕は何も求めていないから交換条件ではない。

良い仕事をしたからとか、自分が指示した通りに行動したからとか、そういう成果承認でもない。
そんな条件付きで与える期待や愛情など偽物だろう。


自分の部下であるという理由だけで、本物の期待と愛情を注ぎ続けることも上司の大切な仕事の1つ。

今の僕はそう思う(当時はそこまでは考えていなかった)。

そしてそれをしっかり相手に伝え続けることも出来なくてはいけない。


成果を出したから、期待に答えてくれたから、自分の意図を理解してくれたから良い部下なのではない。


僕がやむを得ず、今の店舗で支配人の代行を兼務した時に、今の上司に何度か言われた言葉がある。


『人間良いところも、悪いところも必ずあるんだから』


その両面をしっかりと見て、両面とも受け止めてあげなきゃ。

きっとそういうことを僕に伝えたかったのではないだろうかと思う。

当たり前のようでついつい忘れがちになってしまう。ダメな部分や嫌な部分で判断してはいけない。


受け入れることが出来ない時でも、受け止めようとすることなら出来る。
そんな姿勢を上司が持ち続けることで、頑な相手の心を動かすことが出来るのではないだろうか。

そのためにはとにかく『聴く』こと。そして『共感』。トレーナーが行うカウンセリングと同じだと僕は思う。

トレーナーの知識やスキルなど、相手に受けれてもらわければ、何の意味もない。ただの自己満足。


受け入れてもらうには、まずは自分から共感すること。感情を表す言葉を使って自分も相手と同じ気持ちをイメージする。


それが出来ていないと、ただ自分が伝えようとすることばかりになってしまう。


ちょっと話がそれそうなので、これはまた別な機会にでも。


人を責めない。
自分も責めない。
自分を変える。

それが苦しさから抜け出す方法の1つではないでしょうか。

サッカーの三浦知良選手の言葉。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
学ばない者は人のせいにする。
学びつつある者は自分のせいにする。
学ぶということを知っている者は誰
のせいにもしない。
僕は学び続ける人間でいたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

何とも勇気の出る言葉です。


そして自分が伝えたいことを伝えるために、


部下であるという理由だけで、成果承認ではない本物の期待と愛情を相手に伝えること。


良い面、悪い面、両方を受け止め、話を聴き切り、それに対してどうこう言うのではなく共感すること。


これが苦しさから抜け出し、伝えたいことが伝わるための土台なのではないかと僕は思うのです。


アリストテレスのエトス、パトス、ロゴスの考え方は不変。



『自らを犠牲にして行動したことが相手に響かないとイラつきますし、叱る気持ちを我慢してるにも拘わらず、改善が見られないと爆発しちゃいます。』


長谷山さんの気持ちは、よく分かる。こんなことを書いている僕だたって、長谷山さんと同じような気持ちを一切なくし続けることが出来るかといえば、それは相当な努力が必要だと思う。


ただ、

それを無くすことは出来ないにしても、

『あ、今またやってしまった』

『しまった、この態度はダメだ』

というように気づくことが出来る回数というのは増えてきていると思う。

気づくことができれば、その瞬間にそれをやめることも出来る。

なんだよ内海、そんなの甘いよというご意見もあるかも知れない。


でも何回失敗を繰り返そうとも、諦めずにやり直し続けたい。僕はそう思うのです。


僕の限られた体験からの話であり、考え方に未熟で至らない点などあるかも知れませんが、長谷山さんの心が少しで穏やかになり、同じような悩みを持つ方々の捨て石となれれば、幸いでございます。

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