【責任という言葉本来の姿】 | Live with Max.

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世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。

映像流出問題。



どこもかしこも、この話題ばかりだ・・・





私は、政治に関してはかなり疎い人間ですが、


時折、興味は持ちます。




でも、政治家には興味は沸きません。




とは言っても、ある特定の言動をする政治家なのですが、


政界ではその言動が、実に多い・・・





【責任問題】




今回の映像流出でも、この言葉が相も変わらず飛び交っている。




行政で【責任】という言葉が出てくると、この言葉が指すところは


辞任や処分に対する言及である場合が多い。




もちろん、これはメディアの報道の仕方というものも


影響はあるのですが。




『責任問題だ!』


『どのようなかたちで責任を取られるのですか?』


『辞任をして責任を取るべきだ!』




誰が悪いのか?と大騒ぎし、責任を取れと追求し続ける・・・・




これってどうなんでしょう。




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責任は追及するものではなく、本来は果すべきものなのでは?



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というように私は感じます。




確かに、責任の所在を明らかにするというのは、


必要なプロセスであるのかも知れません。



誤った行為の責任を追及することを否定するわけではありません。



でも、それを追求しているだけの人を見ると、


『あなたの責任は何なの?』って感じてしまうんですよね。




大騒ぎして批判することばかりにエネルギーを奪われているように


見えてしまう。





そんなエネルギーがあるなら、今回の問題をどのように対処すべきかを


明確に発言したり、自分に出来ることは何なのか?を考えることに費やしては


どうか。




そうでなくとも、責任を果させるための追求ならまだいいが、


悪人を見つけ出して、引きずり降ろしてやろうというだけの意図が


ありありと感じられる追求の仕方には疑問を感じてしまいます。





当初、中国は『日本船が衝突してきた』という主張をしていたが、


日本船に非が無い証拠を公表しないと知った乗組員達が一番


ショックだったのではないだろうか。




例えば、彼らのために、責任のある人物が出来ることは何かを訴えたり、


彼らの励みなるような取り組みを自ら提案したりとか。




そういう議論が行われるのなら、個人的には好感が持てるのに。



散々責め立てて、非を認めて謝罪させることだけに腐心し、


謝罪をすれば、『今更もう遅い』、『辞任しろ』などとまた騒ぐ。





国会はそんな余裕があるのか?


そんなことよりも、もっと建設的なことに時間を費やしてはどうだろうか。


中国へもっと強い発言を行うとか。


まぁ、政治には全く詳しくない私なんかが知るはずもない、


色々な事情とか、背景や手法というものが、存在しているとは思うのですが、



【責任問題】という言葉が出るたびに、


残念な気がしてならいのです・・・・