明日は、母方の婆ちゃんの命日。
昭和53年だったから…随分経ったもんだね。私が2歳と2ヶ月少しの時だったね。

うっすらと覚えてる、婆ちゃんが白い布を掛けられ寝ているのを。
そして、何故か起こさねばと
「ねんねしてる!起こす!」と婆ちゃんに近づこうとする私を、母は慌てて抱きかかえ静かに悟すように言った。

「婆ちゃんはもう寝せてあげなさい。
神様のところに行くんだから…」
「(起こしては)だめ?起きないの?」
「今起こしたら神様のところに行けなくなって迷子になってしまうんだよ」と。

たぶん私、そこで「迷子」と聞いて納得したんだね、そりゃいかん!と(笑)
2歳児にしてみたら、迷子なんてパニック過ぎるからっ(笑)
そして信心深い母の影響で神仏の存在は漠然とだが分かっていた。
そう、葬儀のそこの部分は覚えてる。

あとはね、生前は私をおんぶして「岸壁の母」をよく歌ってた。
私も自然に覚えてしまい、2歳児の定期検診の時に会場で歌ったらしい。知らんけど(笑)
日常で「もしや もしやに…」なんて口ずさんでいたのは覚えてるけどね。

孫には優しい婆ちゃんだが…

私が20歳の頃、婆ちゃんの妹の葬儀に、体調優れない母の代理で出た時の事。
明らかに隣組の手伝いの婆様達から
「あんた、どちらさん?」
なよそ者な対応をされ、
「〇〇の孫の〇〇です」と名乗った途端、
「〇〇さんのお孫さんだって!」と顔色が変わり少々ザワザワ…
「大変失礼しました。〇〇さんにはとてもお世話になりました」とちょっと恐れ気味(笑)
何の変哲もない地味でニコニコした婆ちゃんだけど?どしたの?と面白かったから後で母に、婆ちゃん生前は一体何をしてきたよ?と聞いてみたら
「いや、なんて事ないよ(笑)
ただね、物事の筋道や良い悪いはハッキリ言う人だったから、煙たいと思う人は居ただろうね。」との事。

なるほどねーー。
ま、母もそんな感じだけどね。あ、私もか(笑)

ここ数年から、年取った母が私が知らなかった婆ちゃんとの確執をぽつりぽつりとこぼすのよ…やっと言えるようになったんだね。
私と婆ちゃん、母と婆ちゃん…関わり方が違うから仕方ないよね、あるよね…
それにしてもキツい出来事だなぁ、よく耐えたなあ、それ。

だからとて、私の知らない婆ちゃんの面を知らんくせに嫌うのもおかしいよなぁ…

とにかく、いつも護ってくれてありがとう。