自然療法士ラクシュミー優です。

 

 

 

『結婚と子供を持つことについて』シリーズも

今回で6回目。

 

 

 

 

2回目の結婚が40歳となったことや

結婚に対しての思いや

なぜ、子供がいないのか

現在に至るまでの出来事や気持ちを綴っています。

 

 

 

今までの記事

結婚と子供を持つことについて①

結婚と子供を持つことについて②

結婚と子供を持つことについて③

結婚と子供を持つことについて④

結婚と子供を持つことについて⑤

 

 

 

さて、インドのアシュラムで知り合ってたった7か月で

夫と結婚することになった私。

 

 

 

インド人は日本など先進国の人のように

自由に世界を歩くことはできないのです。

これは、日本に生まれた私たちには、なかなか実感がないこと。

 

 

生きることに必死でそのために先進国で働き、

家族を養い、お金を貯めて自分の国で楽に暮らすことを

夢見ているから。

 

先進国は自国の人たちの雇用を守ることも当然だし、

知らない人たちがどんどん国に入ってきたら

秩序が乱れるし。

 

 

イタリアの外国人の呼び寄せの制度は

日本とそう変わらない。

夫をイタリアに呼ぶために

まずは学生ビザや観光ビザでイタリアに入国してもらうために

いろいろな書類を用意。

 

 

ムンバイのイタリア大使館で

夫がイタリアへ来れるように申請。

インドは広いので

夫が住むケララ州からムンバイには飛行機でわざわざ申請に行った。

 

 

 

1ヶ月後だったか?

大使館にまたわざわざ夫が飛行機で出向き、

リジェクト(拒否)のスタンプが押されたパスポートを

虚しくも受け取ることに。

 

 

そんな経緯もあり、

結局結婚という道を選ぶことになった。

 

 

 

結婚が決まるとさすがに両親に黙っているわけにもいかず

恐る恐る電話で話した。

 

 

 

やっぱり驚いたみたい。

そして、心配してた。

そしてインド大使館まで出向いたり、

なにやら情報を集めたらしい。

 

 

 

『ヴィザ取得のために騙されていない?』

ってやつ。

 

 

 

この辺のことは心配はしてたみたいだけど

反対は特にされず。

40にもなる2回目ともなれば

反対って言葉も出ないのだろうけど。

 

 

 

インドで結婚してから、

イタリアへ来れるようになるまでも

最低半年はかかると言っていた。

 

 

そうそう、これはイタリアの制度の問題。

なんでこんなに時間がかかるわけ?

って感じなのだけど、これが現実。

 

 

 

家族の呼び寄せのヴィザ申請のための書類も

やたらとたくさん必要。

 

迎え入れるための家の条件やら

収入やら結婚をしていないという証明やら?

もう忘れたけど

かき集めるのが結構大変だった。

 

 

 

申請してから、ちょうど半年が過ぎた頃に

やっと家族ヴィザがおりて

晴れて夫がイタリアへ来れることに。

 

 

イタリアは自分の国でないし、

まさか自分が夫をイタリアへ呼び寄せることに

なるなんて思ってもみなかったけど

人生って不思議。

 

 

インドでの生活は考えられなくて、

理由は住むところにもよるけど

一般的に

女性が自由に生きていける国ではない。

のがどうしてもダメで。

 

 

一人での外出もままならないし。

 

 

家族の繋がりが強すぎて

これも私にはきつそう。

だっていつも親戚や誰かしら出入りするのって

今までの生活スタイルからすると無理。

 

 

 

高齢になってから

インドのアシュラムで静かに人生を閉じるのはアリだと

思うのだけどね。

 

 

 

夫が初めてイタリアの地を踏んだのは

2011年の12月の5年前。

 

 

 

イタリア語も習っていたはずなのだけど、

何一つイタリア語わかっていない状態だった。

 

 

 

もう5年も過ぎたので

何とかイタリア語を話していて困ってはいない。

というより、困ることを知らないタイプ?

 

 

 

夫が地図を読めないということにも衝撃を受けて。。。

インド人は地図を見る習慣がないって言ってたけど、

それって夫だけ?

 

どうすんだ?

一応車の免許も持っていて運転してたけど‥

 

 

 

幼い子供が何も知らずに何も言葉が話せないよりも

もっと始末が悪いという

イタリア生活の出発でした。

 

 

 

大人になって言葉も話せない、

右も左もわからない所での生活は大変なのです。

 

 

 

一時が万事こんな感じで

当時の私にはずっしりと夫の存在を感じたのでした。

 

 

 

もちろんこんな状態で

生活をスタートしているので

夫は仕事を探すとかという以前に

イタリア語をまず学ばなければならない。

 

 

 

つまり、子供が欲しいとか

そんなことは、現状から見るとはるか彼方の話。

考えるような余裕がなかったのです。

 

 

 

 

一緒に暮らしだして初めての夏にポルトガルで

 

 

 

ここからしばらくは、

夫も厳しい現実を間のあたりにし、

私も夫を重荷に感じることも多くて

一緒に暮らせて楽しいねという感じがほとんどなく過ごすことにしずく

 

 

自分が選んだ道とはいえ、

少しの期間とはいえ、

夫を全面的にサポートするという役割に疲弊した時期。

 

 

 

家族を養う男性の気持ちがわかった気がした時期でした。

 

大げさに言うと

結婚によって家族の生活を請け負うことになるので

結婚に気が進まない男性の気持ちみたいなもの。

ちょっとネガティブだけどね。

 

 

と私側から見たことばかりを

好き勝手に書いてますが、

夫はインドでほぼ終身雇用されていたので

仕事を辞める勇気はそれなりに必要だった。

 

 

 

迷わずにあっさりとイタリアへ来るといったものの

現実を見て

仕事のことはだいぶ後までブツブツ言ってました。

 

 

 

また次回に続きます。

 

 

 

お付き合いどうもありがとう。

自然療法士ラクシュミー優でした。