転校 その後 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早に20数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪





息子を今年の1月から転校させました。


そのことはこちらでも書いてます。






イタリアの学校は9月半ばに始まり、6月上旬に終わります。


なので、イタリアの小学2年生の途中で転校させ、6月の上旬で今年度が終了しました。



結果から言うと…



ここ最近の私たちの決断の中で


息子の転校は


英断だった真顔


と言えるでしょう。



今の学校を選んだのも英断だった。




息子自身も、私たち両親も、

この転校によって人付き合いとか

環境がけっこう変わったわけですが

本当に運良く、いい方に変わってくれました。



それは、息子や私たち両親が一日でも早く馴染めるようにと、温かく迎えてくれた、担任の先生二人と、クラスメイトたちと、クラスメイトたちの家族のおかげに他なりません。




そして、夏休み前の面談では、

正直、前の学校であった"問題"が

私とダンナの中では全て解決されたのです。


前の学校で気になっていたことや転校の理由。


🔴筆箱の中身が1週間もたない。

🔴週末、宿題のテキスト、ノートを持って帰ってこない。(クラスチャットでそれは息子だけでないのは分かっていた。)

🔴担任が息子の病気を理解していない。

🔴息子は短腸症候群のため、栄養を十分腸から吸収できないため、小さく細い体でも大人並みに食べなければなりません。そのため、主治医の指示のもと、息子の給食は特別メニューで、特に炭水化物が多く出されています。他の子たちが息子だけメニューが違うことを指摘すると、担任はクラスメイトに「ピピウは"グルテンアレルギーだから」と嘘の理由を説明した。

🔴息子が算数の宿題のある問題をとばそうとするので、それもするように言うと「先生が、この問題は僕には難しすぎるからやらなくてもいいと言った。」という息子。

息子の障害は腸であって学習障害ではない。

🔴ある日、息子が目の周りを青くして帰ってきた。理由を聞くと、休み時間に友達とぶつかって、友達の頭が目に当たったという。それを見た学童保育の先生が「目、どうしたんですか?💦」と聞いてくるほど。にも関わらず、担任からは一切の連絡や説明なし。

🔴ある日、息子の長袖シャツの袖を見ると、袖口がハサミで切られていた。


ちなみにハサミの件はまだ"いじめ"ではありませんでした。

どの子がどういった状況で切ったかは息子からは聞きました。

その時はまだ"いじめ"という認識は双方になかったけれど、成長するにつれて、それが本当の"いじめ"になるのではという不安がありました。

そして、それを見過ごしている担任。

更に、その事を言っても何も動かなかった担任に不信感しか抱けませんでした。


いつもいつも、息子の障害者としての権利=補助の先生をつけろ、補助の先生のいる時間を伸ばせとうるさいのに、"障害者"であるはずの息子自身には無関心の担任。


教室にいる大人(補助の先生)が増えると、そりゃ、担任にとっても便利ですよね。

担任にとって、興味があるのは息子ではなく、息子が持っている障害者認定だとしか思えませんでした。



最後に書いたハサミのことに関しては、

「どうして、学校を訴えなかった?勝てただろうに。」

と知り合いから言われるほど。


そして、1年生のときについてもらった補助の先生本人が「ピピウは補助の先生がいなくても学校生活に問題ないですけどね。」と言うし、これだけいろいろな科でお世話になっている大学病院の先生方にも「補助の先生をつけろ」と言われたことがない。



このまま小学5年生まで(イタリアの小学校は5年間)、我慢する必要があるのか?

それは本当に息子のためなのか?



いや、そんなはずはない真顔



という、ダンナと意見一致のもと、すぐに転校手続きに動いたのでした。




そして、新しい学校では、それら全ての問題が解決しました。


いや、そもそも、今回に至っては、問題自体が本当は最初からなかったのだと私は思っています。


問題を"作って"いたのは前の学校の担任だったと。



息子を過剰評価するつもりはありません。

でも、過小評価するつもりもありません。


息子の本当の姿を見つめ、伸ばせるものなら、できるだけ伸ばしてやりたい。


イタリアの学校は担任が入学から卒業まで基本的に変わりません。

5年間の小学校生活において、息子の障害者認定しか見ない、息子を必要以上に過小評価する担任のもとで学校生活を送らせるのは、我慢なりませんでした。



今、こうして書いていても腹立たしいのですが…


でも、それは過去のこと。


今は理解ある担任のもと、息子も楽しく伸び伸びと学校生活を送り、私たちも不必要なストレスもなく、穏やかに過ごせています。


だから、早く忘れよう。



"逃げるは恥だが役に立つ"って、ハンガリーのことわざらしいですね。

以前、そういったタイトルドラマがありましたね。


でも、本当にそうだと息子の転校に関しては思ったのでした。


転校してからの約5か月間、筆箱の物も失くならなかった。

宿題も毎週持って帰ってきた。

親として、息子の学校生活が不安なることがなかった。

担任と学校を信用できた。


残念ながら、自力では変えられない状況、環境というものがあります。

その場合、見きりをつけてそこから離れる(逃げる)という選択も十分にアリですね。



これは、今年あった良いこと!



転校させてよかったー!










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