先日のこと。
朝、ピピウが朝ご飯を食べていると…。
「マンマ、どうして僕はバッテーズィモを受けなかった?」
と聞いてきました。
Battesimoとは洗礼のことです。
宗教の授業をピピウには受けさせていないので、お友達に何か言われたのでしょうか?
「生まれたとき、NICUにいたから受けられなかったの?」
と続けて聞いてきました。
「洗礼はNICUでも受けられたよ。
難しいんだけど…バッボ(お父さん)とマンマは、ピピウが信じるものをバッボとマンマが決めるのは違うんじゃないかな~と思うの。
だから、受けさせてないけど、いつかピピウが受けようと思ったら、受けたらいいよ。」
と言いました。
「でも、マンマ、僕、もう小さい赤ちゃんじゃないよ!」
とピピウ。
イタリア(私の周り)では、洗礼は生まれてすぐ、新生児のころに受けさせるか、そうでなくても1歳前後で受けさせるのが一般的に思えます。
だから、ピピウはきっと生まれたときに受けるものだと認識したのでしょう。
実際にそれがイタリアのスタンダードでもあると思いますが。
「洗礼はね、赤ちゃんのときに受けないといけないわけじゃないんだよ。
今からだって受けられるし、大人になってからだって受けられる。
マンマは受けてないけど、マンマだって受けられる。
ちゃんと勉強して、神様を信じていればね。」
「神様って、誰?」
すごい質問キタ
「誰なんだろうね~💧マンマもわかんないけど。」
「僕は洗礼受けたいよ。」
と言い出すピピウ。
「洗礼式では、
何を食べられる?」
やっぱり、そこよねー
まぁ、ピピウの洗礼式に対する認識は間違ってもいません。
キリスト教が文化に根付いているイタリアでは、もちろん洗礼式はキリスト教徒になる大切な儀式の一つではありますが、赤ちゃんが誕生したことを盛大に祝うパーティーでもあると思うのです。
よって、結婚式のように、教会での洗礼式の後は、大抵、レストランや、どこかの会場を借りて、パーティーをすることが多いです。
そこではご馳走が出席者にふるまわれるのが一般的。
ピピウの友達たちは自分たちの洗礼式は覚えていないと思いますが、ピピウの友達たちの弟たちが洗礼式をした時の記憶はもうあると思うんですよね。
私の推測ですが、お友達がその様子をピピウに話すのかも???
ピピウも実際、お友達の妹の洗礼式に出席したことがあります。
それで洗礼式=盛大なパーティー!ご馳走!というイメージがあるのだと思います。
ま、実際にそうですし。
ご馳走を食べるために洗礼を受けたいピピウ。
それを聞いて、私の母の話を思い出しました。
私の地元にはけっこう古い小さなカトリック教会があります。
私も、小さい頃、そこで遊んだ記憶があります。
私の母が幼い頃、教会に遊びに行っていて、どうやらミサに参加したようなんですよね。
で、ミサの途中で、神父さんが信者の方の口に白いせんべいのようなもの(聖体)を入れて食べさせるのを幼い母は見て、母も食べたかったそうなんですが、あの白いせんべいは神聖なもので、口にすることができるのは信者だけ。
神父さんによっても違うのかな???謎です。
なので、洗礼を受けていない、キリスト教徒でない母はその白いせいべいのようなものが食べられませんでした。
食べられないとなると、どうしても食べたくなるようで…。
幼かった母は、そのことを自分の父(私の祖父)に話し、
「キリスト教徒になる!」
と言ったそうです。
祖父は「馬鹿もーん!」と母を一括して終わったそうですが。
食い意地だけで、そんなに軽々しく宗教を決めるなって意味だったと思われます。
そう考えると、これってDNA?笑
パーティーのご馳走が食べたくて洗礼を受けたいと言うピピウと、御聖体(白いせんべいみたいなの)が食べたいから洗礼を受けると言った母。
この祖母にしてこの孫あり…か…
ま、ご馳走のために洗礼は受けさせませんが。
でも、ピピウには、洗礼はいつでも受けられるし、本当に受けたいなら受けてもいいことを理解してもらえればと思います。
でも、それは、まだもう少し先かな。
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