父がいない今、思うこと2 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

昨日の続きです。

 

 

そんなわけで、私は2017年にすでに“もう父には会えない”と覚悟したんです。

 

それが、父の生命力と、家族の介護、ドクターと看護師さんたちのおかげで、それから5年も生きてくれました。

 

 

会わせられないと思っていたピピウにはなんとか3回直接会わせることができました。

 

 

 

 

そして、今回の12月の3年ぶりの帰国。

 

車いすに乗って、ピピウと約束のトミカを買いに行ってくれ、トイレに行くときはピピウを先頭に汽車になり、一緒に笑って過ごせた時間は本当に宝物です。

 

 

日本を発つ前、父に

「ずっとそばにいられなくてごめんよ。遠くに住んでてごめんよ。でも、私もピピウも、イタリアで楽しく、幸せに暮らしてるから、それだけは心配しないで。」

と言いました。

 

父は

「そうか、そうか。そうならいい。それが一番だ。」

と言ってくれました。

 

 

 

 

日本にいたときに直接父に会って話ができて、父に伝えたかったこと、言いたかったことを直接本人に言えたこと、最後に父のひげを剃ってあげられたこと(電気シェーバーで)、少しだけ介護みたいなことができたこと…もちろん、もっともっと話したかったし、いろいろしてあげたかったけれど、それらのことが少しだけでもできて、父の死の知らせを聞いたとき、後悔の思いが少し少なかったのは事実です。

 

 

 

 

父の葬儀が終わり、もっとドーンと落ち込むのかなと自分でも思っていました。

 

が、実はそうでもないのです。

 

もちろん、言葉に表せない悲しみも喪失感もあります。

でも、それよりも、9年間もの間、二つの癌と戦った父と母を称えたいという気持ちの方が強いです。

 

 

 

 

あと、父は本当に他人に気を遣う人で、小さい頃から私と兄にも「家族にはどんだけ迷惑をかけてもいい。でも、よそ様には絶対に迷惑をかけるな。」と言う人でした。

 

そんな父ですから、闘病中、入院することになるといつも個室希望。

 

で、個室に入ったからゆっくりしてるかと思ったら、TVも見ていないと言う…タラー

 

そして、TVを見ない理由が…

父は耳が遠かったので、TVを見るとボリュームを上げることになる。いくら個室とはいえ、ボリュームを上げたら部屋の外まで聞こえて迷惑になるのでは?と心配して、それならTVを見ないと…タラー

 

「TVくらいつけておかないと、何もすることなくてボケるから!」と心配する母をよそに、父は頑なにTVをつけませんでした。

ある意味、頑固だったので、母は大変だったと思います。

 

 

あと、私が日本滞在中に何度も「情けない…」「ごめんよ…」といろいろ自分で思うようにできないことに私たち家族に謝っていました。

 

 

そんな父でしたから、

今は空の上で“あー、家族に迷惑かけずにすんで、ほんまに良かったわー!”と言いながら、心底ほっとしてるのかな?

なんて母と話していました。

 

でも、その可能性も十分にあると思います。

 

だって、亡くなった父の顔が、本当に眠っているかのように安らかだったからです。

 

 

 

 

 

 

最期の数か月はしんどかったと思います。

かなりしんどかったとは思います。

 

でも、最後まで私たちと会話が成り立ち、「痛い」と言うこともなく、父は安からに逝きました。

 

そう考えると、父らしい穏やかな最期だったのかなと思います。

 

 

 

以前、“癌は「幸運な病気」だ”と言うのを何かの記事で読んだことがあります。

 

記事の内容は、「幸運な病気」だと言う理由として、癌は死に至るまでそれなりに時間がある病気で、家族や、大切な人たちに挨拶する時間、どうしてもやっておきたいことをする時間がある病気だから…といった内容が書かれていたと記憶しています。

 

それを読んだときは“そんなはずはない”と思っていました。

 

でも、今なら、それが少し分かるような気がします。

 

 

 

 

もっと、もっと先であることを祈りますが、ある日、私に癌ができたとして、すぐに前向きに癌と戦える勇気が自分にあるかどうかは分かりませんが、父のように家族のために頑張って最期まで戦う努力はしたいなと父を見ていて思ったのでした。

 

 

 

父は、41年間、私にたくさんの愛情をくれました。

たくさんのことを教えてくれました。

今度はそれを私がピピウにしてやる番なのだと思います。

 

父のぬくもりをもう感じることはできないけれど、たくさんの思い出は消えることはありません。

 

今はイタリアの我が家にもしょっちゅう来て、私たち家族3人を見守ってくれているような気がします。

 

 

父と過ごした楽しい日々も、父を亡くした悲しみも、一生忘れません。

 

両方の気持ちを胸に、これからも前を向いて生きていきたいと思います。

 

 

お父さん、ありがとう。

 

 

 

 

 


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