95歳でした。
ずっと体調が悪かったのは聞いていましたが、
年末年始に日本へ帰ったときは頭もしっかりしていて、
私のこともダンナのこともよく分かり、
ピピウと会えたことを喜んでくれました。
ピピウの手を握ってくれました。
一ヶ月ほど前、肺炎で入院したと聞きました。
もうそう長くはないと医者からも言われていたようで、
家での介護が大変であろうし、入院したままでも…
という病院側からの提案があったそうですが、伯母は「それならなおさら家に連れて帰りたい。」と言ったそうです。
伯母は"嫁"の立場であっておじいちゃんの"娘"ではありません。
伯母はすごいです。
おじいちゃんが寝たきりになって、ずっと介護してきたのは、私の父の兄である伯父とその奥さんの伯母でした。
趣味の海外旅行もやめ、頑張って介護していたのを知っています。
おじいちゃん最期の時、
おじいちゃんの手を握っていたのはおじいちゃんの孫、私のいとこ二人だったそうです。
心拍が弱くなった時、二人が「おじいちゃーん!戻って来てー!」と叫ぶと数回心拍が回復したそうです。
きっと二人の声が届いていたのでしょう。
おじいちゃんは最期の最期まで幸せだったかな?
本人にはもう聞けないけれど、
きっと幸せであったと思います。
その生涯を海で過ごしたおじいちゃん。
おじいちゃんはまるで穏やかな海のような人でした。
大らかで、優しい人でした。
大好きでした。
おじいちゃんのことをよく言う人は沢山いても、悪く言う人は見たことがありません。
きっと、今、日本では慌ただしく葬儀の準備が進んでいるのでしょう。
おじいちゃんとの思い出に浸りながら、家族、親戚が集まっているのでしょう。
なのに、ここイタリアでは、
私の周りでは、
いつものように、
いつもと同じ日常が過ぎていきます。
身内が亡くなっても、
それは世界の裏側で起こっていることで、
知らされなければ普通の一日で終わったおじいちゃんが旅立った日…。
お通夜にも、お葬式にも出席できない。
ダンナが、翌日出発のチケットを探してくれましたが…
ピピウはどうする?
このドタバタの中、カテーテルがついているピピウを連れて、又は残して、旅立つのは難しいと、冷静な自分が言います。
ずいぶん遠くまで来てしまったのだと、
物理的な距離を感じずにはいられません。
ごめんね、おじいちゃん。
遠く離れていても、海は繋がっている。
イタリアの海も、日本の海も繋がっている。
どうか、おじいちゃんが安らかに眠れますように。
はるか遠くの地、日本の故郷を想いながら、今日は寝ます。
どうか、私の祈りが海をこえておじいちゃんに届きますように。
おじいちゃん、ありがとう。
さようなら。
絶対にわすれないよ。
大好き。