義妹の結婚式 2 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

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イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

義妹の結婚に反対だったわけではもちろんないが、

正直、教会式はどうかと思っていた。


義妹も新郎も敬虔なキリスト教徒というのなら理解できるが、

私は二人が教会に行っているなんて見たことも聞いたこともない。


むしろ、私のほうが教会への出入りは多いのではないだろうか?

ま、私の場合は教会に入るのは観光で、美術鑑賞でという理由でだけれど…。



全く信仰心のない二人がどうして教会で式を挙げたかというと、

新郎側のお母さんが毎週教会に通う人であるということが一つ。

また、イタリアでは教会式のほうが市役所式に比べて派手である。

新郎側も新婦側も派手な結婚式のほうを好んだというのが教会式にした一番の理由だと思う。



新婦の兄である私のダンナは全く信仰心はなく、でも、宗教に関して“まじめ”ではあるので、

「今まで教会に通ったこともないくせに、信仰心があるわけでもないくせに、“華やかなセレモニー”をするためだけに、教会式をするもんじゃない。」

と、堅苦しいことを言っていた。(私たち夫婦はもちろん市役所式)

ま、もちろん、そんな意見は即却下だったけど。




これまで事実婚という状態であった義妹たち。

5歳の娘もいる。


そもそも、そのこと自体、キリスト教の教えに反している。


キリスト教としては


結婚→出産→生まれた子供の洗礼式


というのが“順序”というものらしい。



なので、厳格な教会、厳格な神父さんの中には、

既に子供のいるカップルの教会式を断るところもあるらしい。



でも、幸い(?)、義妹たちが式を挙げた教会の神父さんはオープンな方で、問題はなかったようだ。


でも、もちろん、式はまず結婚式。

そして結婚式が終わってから、娘の洗礼式という順だった。





私は事実婚に反対なわけではない。

いろんなカップルの形態があっていいと思うし、

お互いが納得していて幸せならば、結婚という法的手続きをしなくても、

それはそれで家族の形であろう。


子供が先だろうが、結婚が先だろうが、ずっと結婚しないでいようが、大切なのは家族として繋がっていることだと思う。


また、私は、キリスト教の教えを尊重していないため、教会で式を挙げさせないという教会や神父さんがいても、それはそれで正しいと思う。

それが宗教というものではないか?遊びじゃないのだから。



日本人がホテルや結婚式場のチャペルで挙式するのと、イタリアでの教会式は全く違うと思う。

日本人がするホテルや式場でのチャペル結婚式は、結婚する本人たちも、周りも、それが“宗教行事”だとは思っていない。

でも、イタリア人がイタリアの教会で式を挙げるのは立派な宗教行事なのだ。



カトリックの本場イタリアで、本当の教会で、普段教会に通っていない人たちが、神の前で永遠の愛を誓ったところで、正直、説得力がない。

「いいんだろうか?」と思ってしまうのは私だけだろうか?



おまけに、洗礼式が終わった後、神父さんが、

「これでこの家族(新郎新婦とその娘)の罪はすべて清められた。」というようなことを言っていた。


教会で結婚式を挙げ、娘にもちゃんと洗礼を受けさせカトリック教徒にしたから、

罪が消えたということなのだろう。


それを聞いて、私は隣にいたダンナに、

「私、洗礼受けてないし。だからキリスト教徒でもないし。私、罪だらけじゃん?!」

と、小声で言うとくすくす笑っていた。

そして、

「僕“たち”は教会で式を挙げてないんだから、罪があるのは僕もだよ。笑」

と。



教会にとっては罪深い夫婦です、私たち。






式が全部終わって、新郎新婦に「おめでとう」を言いに行った。

義妹はとても幸せそうで、いつもよりずっと綺麗だった。


そんな彼女を見てると、「本当によかったね。」と心から思う。


式そのものは本当にカタチだけで、教会式じゃなくてもよかったんじゃない?と思うし、

感動もしなかったが…

義妹の本当に幸せそうな笑顔を見れたのには感動した。


これからも幸せな家庭を築いていってほしいと思う。






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