ルイ16世の時代、課税は高等法院を通さないとできませんでした。
高等法院は売官制により官職を購入した法服貴族により構成されていました。
裕福な人がお金で官位を買ってついていた官職です。
特権階級に課税できなかった理由の1つがこの高等法院でした。
高等法院は勅令の発効や慣習法を実施するための規定布告を出すことができ、
この中に新しい課税の布告も含まれていました。結果、全ての法案はこの高等法案で止められてしまい、
ルイ16世は妥協に妥協を重ねましたが全てが無駄に終わりました。
そして何度も妥協を重ねた中に三部会を開くというものがありました。
三部会とは、第一身分である聖職者、第二身分である貴族、
そして第三身分である平民で構成される巨大な会議です。
ルイ16世の前に開催されたのはなんと約170年前。1614年になります。
前回の三部会は各身分は300人で意見を集約し、各身分毎に1票の投票を行い、議決を取る方法でした。
しかし今回は、平民が自信を持ってきていました。ブルジョアの台頭です。
自信を持ってきた平民は、第三身分の人数を倍に。一人一票を要求してきました。
特権階級は負けが確定するそんな話に載れるはずがありません。
人数比は1:1:2です。一人一票ならほぼ間違いなく特権階級の負けです。
本来の議題は特権階級への課税だったのですが、会議の議決をどうするかの議論が始まりました。
会議のための会議をしてはいけないってのは基本なんですけどね。
結果として、業を煮やした第三身分が三部会とは別に国民議会を生み出し、ルイ16世に認めさせました。
おそらくこれが決定的だったのだと思います。一度は議会を強制的に閉じさせたルイ16世でしたが
国民議会は球戯場に移動し、球戯場(テニスコート)の誓いを行いました。
憲法制定まで解散しないことを誓い合ったわけです。王権に対する挑戦でした。
ルイ16世は改革を進めたかったためにしょうがなく認めたんだとは思います。
同時に第一身分のほとんどと第二身分からすこし合流してきました。
同時におそらく貴族側が兵隊を集め出しました。第三身分に対しての圧力でしょう。
その状態で・・・平民から出た財務大臣のジャック・ネッケルが罷免され・・・
おそらく防衛反応だと思いますが、有名なバスティーユ襲撃が起きました。
そしてフランス革命へとなだれ込んでいきます。
この流れをみて感じるのは、江戸幕府の最後です。
ペルーがきて、開国を迫られたときに江戸幕府は諸藩の意見を聞きました。
それにより諸藩は江戸幕府の衰えを感じだと聞きます。
結果、決められない江戸幕府とイライラを募らせる諸藩。特に薩摩や長州。
そして生麦事件や下関戦争が起きていくわけです。
これも決めきれなかった江戸幕府が招いたことでした。
歴史に「もし」は無いのですが、ルイ16世が高等法院を無理にでも閉じさせていたら・・・
今のフランスに国王は存在したかもしれません。
そしてもっと平和に改革が行われていたのかもしれません。
次回は改革後あたりを見てみましょう。
参考資料
wikipedia(フランス革命)
wikipedia(三部会)
wikipedia(ルイ16世)
wikipedia(球戯場の誓い)
wikipedia(高等法院 )
wikipedia(バスチィーユ襲撃)
wikipedia(生麦事件)
wikipedia(下関戦争)
高等法院は売官制により官職を購入した法服貴族により構成されていました。
裕福な人がお金で官位を買ってついていた官職です。
特権階級に課税できなかった理由の1つがこの高等法院でした。
高等法院は勅令の発効や慣習法を実施するための規定布告を出すことができ、
この中に新しい課税の布告も含まれていました。結果、全ての法案はこの高等法案で止められてしまい、
ルイ16世は妥協に妥協を重ねましたが全てが無駄に終わりました。
そして何度も妥協を重ねた中に三部会を開くというものがありました。
三部会とは、第一身分である聖職者、第二身分である貴族、
そして第三身分である平民で構成される巨大な会議です。
ルイ16世の前に開催されたのはなんと約170年前。1614年になります。
前回の三部会は各身分は300人で意見を集約し、各身分毎に1票の投票を行い、議決を取る方法でした。
しかし今回は、平民が自信を持ってきていました。ブルジョアの台頭です。
自信を持ってきた平民は、第三身分の人数を倍に。一人一票を要求してきました。
特権階級は負けが確定するそんな話に載れるはずがありません。
人数比は1:1:2です。一人一票ならほぼ間違いなく特権階級の負けです。
本来の議題は特権階級への課税だったのですが、会議の議決をどうするかの議論が始まりました。
会議のための会議をしてはいけないってのは基本なんですけどね。
結果として、業を煮やした第三身分が三部会とは別に国民議会を生み出し、ルイ16世に認めさせました。
おそらくこれが決定的だったのだと思います。一度は議会を強制的に閉じさせたルイ16世でしたが
国民議会は球戯場に移動し、球戯場(テニスコート)の誓いを行いました。
憲法制定まで解散しないことを誓い合ったわけです。王権に対する挑戦でした。
ルイ16世は改革を進めたかったためにしょうがなく認めたんだとは思います。
同時に第一身分のほとんどと第二身分からすこし合流してきました。
同時におそらく貴族側が兵隊を集め出しました。第三身分に対しての圧力でしょう。
その状態で・・・平民から出た財務大臣のジャック・ネッケルが罷免され・・・
おそらく防衛反応だと思いますが、有名なバスティーユ襲撃が起きました。
そしてフランス革命へとなだれ込んでいきます。
この流れをみて感じるのは、江戸幕府の最後です。
ペルーがきて、開国を迫られたときに江戸幕府は諸藩の意見を聞きました。
それにより諸藩は江戸幕府の衰えを感じだと聞きます。
結果、決められない江戸幕府とイライラを募らせる諸藩。特に薩摩や長州。
そして生麦事件や下関戦争が起きていくわけです。
これも決めきれなかった江戸幕府が招いたことでした。
歴史に「もし」は無いのですが、ルイ16世が高等法院を無理にでも閉じさせていたら・・・
今のフランスに国王は存在したかもしれません。
そしてもっと平和に改革が行われていたのかもしれません。
次回は改革後あたりを見てみましょう。
参考資料
wikipedia(フランス革命)
wikipedia(三部会)
wikipedia(ルイ16世)
wikipedia(球戯場の誓い)
wikipedia(高等法院 )
wikipedia(バスチィーユ襲撃)
wikipedia(生麦事件)
wikipedia(下関戦争)