フランス革命を調べれば調べるほど、自由とか平等とかそんな言葉が出てこないです。
実際に当時の民衆はそんな事考えていたんでしょうか。

フランスはここまで何度もデフォルト(債務不履行 - 借金を無かったことにする)をしてました。
もう歴代の王様が借金してはデフォルトって感じでした。

お金を貸す方は、デフォルトされたらたまりません。なんでお金を貸さなくなります。
そうするとどうするかというと、金利を上げます。
1%の金利だと貸さなくても、5%の金利だと儲かるかもしれないって貸す人が出てきます。
今で言うならギリシャを見てみればいいです。
もうどう考えてもデフォルトするだろうけど、もしかしたらデフォルトする前に
返還期間がくるかもしれない!って考える人もいるんでしょうね。
2年物の国債が100%超える金利になってました。意味がわからないです。

ただ、国が借金してるだけで庶民に影響がないなら革命なんて起きないです。
直接的には、パンの供給が足りなくなったことです。
フランスは穀物に依存した重農主義を採用していました。
前年に今年の税収がいくらかが決められていたんです。
そんな制度で不作になったら・・・税収は足りないわ、穀物は足りないわ・・・
になるわけです。現代日本は食べ物がいっぱいあるのでいいですが、
当時のフランスは穀物以外がほとんど食べられなかったわけですから死活問題です。

閑話休題。
ルイ16世はデフォルトしない宣言をしていました。
そのためにお金は借りやすくなっていたんですが、できるだけお金を借りない方向で
国家の運営をしたいと思っていたはずです。前の国王が残した借金がありましたし。
ところが、アメリカの独立運動に巻き込まれてさらに借金を増やす始末。
デフォルトしない宣言で借金を減らせず、でも税収は上がるどころか下がっている。
そこで日本で言う財務大臣のお仕事が始まりました。

ジャック・テュルゴー(1774年から1776年)
 重農主義社。自由経済を推し進めて、ギルドの廃止穀物の取引の自由化を進める。
 聖職層と貴族階級の特権を制限して財政改革を行おうとしたが特権身分の反対を受けて失脚
ジャック・ネッケル(1776年から1781年)
 税制改革よりも構造改革によるリストラと募債によって財務の改善をめざしたが失敗。
 免税特権の廃止によって税務の改善を図ったが、特権身分の反対にあってやはり挫折。
 ルイ16世によって罷免される。
シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌ(1783年から1785年)
 特権身分の免税を廃止して課税の平等を実現しようとしたが、特権身分の反対にあってやはり挫折。
 罷免される。
エティエンヌ=シャルル・ド・ロメニー・ド・ブリエンヌ(1785年から1788年)
 経済活性化のため、国内の生産物取引の自由化や、地方議会の設立などを実施する。
 新税を作って財務状況の改善を図るが、税金を作ること自体に失敗。
 新税の代わりの公債の発行も止められ、ルイ16世によるラモワニョンの司法改革も挫折。
 辞任する。
ジャック・ネッケル(1788年から1789年7月11日)
 再登板。三部会を開くことを条件に引き受ける。
 世論を味方に付けて改革を行おうとするが世論が明後日に動いてなにもできないうちに解任。
 バスチーユ監獄襲撃の原因の一つになる。

って流れを見ていくと、どうも特権階級に課税するのが一番手っ取り早かったようです。
借金の棒引きができないなら課税するしかないですしね。
ただ、その全てが失敗しています。誰だって自分に不利益になりそうな事は反対しますしね。
当時のフランスの制度も、絶対王政な感じにはなってなかったようです。
ルイ16世の指導力のなさもよく見えますね。
上司が部下を守りきれずに、権限を与えたはずなのに権限を生かせない。
結果として優秀な部下からいなくなっていく状況です。

そんな状況で三部会が開催されることになりました。
おそらく三部会が開催されることによって革命が起きることが確定的になったのだと思います。
続きは次回に。
これいつまで続くんだろう・・・。

参考資料
革命に飲み込まれた王妃 マリーアントワネット
フランス革命
wikipedia(ジャック・テュルゴー)
wikipedia(ジャック・ネッケル)
wikipedia(シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌ)
wikipedia(エティエンヌ=シャルル・ド・ロメニー・ド・ブリエンヌ)
wikipedia(フランス革命)
wikipedia(フランス革命の年表)