近鉄バス東和苑線の「太田」停留所を少し北に進むと西国街道との交差点があります。
西国街道を少し東へ進みます。

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すると太田神社の入口が目に入ります。

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入口を抜けると、どこにでもある閑静な住宅街があります。

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さらに歩を進めると、太田神社の鳥居に辿り付きます。

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素朴なのですが、なかなか趣のある素晴らしい鳥居です。

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額束です。いい感じです。

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マイナスイオンが充満しているだろう参道です。
ほんと癒されます。
しかし、スギ花粉症の人には酷かもしれません。

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境内には手水舎があります。
ドラゴンの蛇口があるも、水は出ておりません。
でも、かっこええやないですか。

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拝殿です。
荘厳な佇まいであります。
しかし近寄りがたいオーラを放っております。
現に扉は固く閉ざされており、
本殿への参拝を望む者を拒絶しております。

仕方がないので隙間よりなんとか本殿を拝みました。
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虚飾を排し、静寂の中に凛と佇む社がそこにあります。
中には賽銭箱もあるようですが、残念ながらお金を投じることは不可なのです。
閉ざされた拝殿の外より拝むことしかできません。

外部からの侵入を拝することで神聖であり続ける様。
恰も宮内庁が管理する天皇陵のようであります。

私はこれでいいと思うのです。
当該神社における独特の空気感は、まさにこの精神から発するものなのかもしれません。
実に落ち着きます。
心が洗われます。

では、何を祀っていいるのでしょうか?
祭神は天照皇大神(アマテラスコウタイシン)、速素盞鳴命(ハヤスサノオノミコト)、豊受皇大神(トヨウケコウタイシン)です。

太田神社の創建については不詳とされています。

しかし、もともとは天兒屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っていたとされています。

この神は中臣氏の祖神とされています。
中臣氏は仏教受容に関して物部氏とともに蘇我氏と対立していたのは有名です。
また、中臣氏は神祇官・伊勢神官など神事・祭祀職を世襲しました。

この太田の地は、中臣氏の発祥の地といわれています。
この地に元来定着していた百済からの渡来人「呉の勝」の末裔集団と三島に進出した中臣氏が融合して形成された中臣太田連が、その祖神・天児屋根命を祀ったのが太田神社であろうというのが通説です。

神職を司る中臣氏はなぜ三島にやってきたのか。
どうして百済からの渡来人と融合するに至ったのか。
そして太田茶臼山古墳と隣接しているのはなぜか。
継体天皇とは・・・。
天皇とは。
日本とは。

三島はなんと神秘な地でありましょうか。
色々と想像を掻き立てる神聖な場所、太田です。