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誰にも言えない切実な悩み…

この悩みは一生涯、誰にも相談する事が出来ない。
なぜなら誰かに相談すれば、馬鹿にされ相手にされないか、病人扱いされるのが関の山だから…

それでも、敢えてここに書き記すのは同じ才能を持ち合わせている人が居るのか確かめたかったので…

なので、気になった方は流し読みで結構です。
意味が分からなければスルーして下さい。
誹謗中傷の類いは慣れてますが、疲れますので勘弁して下さい。

私は、人の心の中を垣間見る事が出来ます。
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ハッキリでは無くて、何となく相手の思想がぼんやりと言葉でも映像でも無い、意識的な物が脳裏に入って来るイメージで、このイメージを相手に確認する様に誘導的な質問をする事で、確実に相手の心の中に潜む意識なんだと認識しています。
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幼少の頃から続くこの感覚を私は "心の眼" と名付けました。

子供の頃はこの感覚が誰にでもある能力だと思っていたのですが、学生を卒業する頃にはさすがに周囲には無い特殊なものなんだと気づき、違和感を覚える様になりました。

長い間、この"心の眼" と付き合っていますから当然、色んな厄介な事もあったりして、だいぶ苦境慣れはしていますが、それでも、表向きには真っ直ぐな印象の人が、実は恐ろしい位に腹黒い意識の持ち主だと、しばらくは立ち直れなくて極度な人間不信症に陥ってしまいます。


そして事もあろうか、今から遡る事、5年前に私は通勤途中に大事故に会ってしまいました。
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今も尚、頚椎に後遺症を残すその大事故以来、何の因果か、この"心の眼" の感度はかなり強くなったみたいで個人差はありますが、分かりやすい相手ならば、心の意識がすべて手に取るようにが伝わって来る様になってしまいました。
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感じたく無くても自然に入ってくるこの意識…

対人関係では心を読んで先手を打てる訳ですから、私にとっては不利な状況を回避出来る事なので、大変便利なのかも知れません。しかし、その反面…

身近にいる人の心が読めると言う事は常に周囲に気を使い続けて、神経的に殺られてしまいます。

こんな私ですから、周囲を取り巻く人間構成は生活に支障の無い最小限の人数と心が綺麗な人格者を選別させて頂いてます。しかし、それでも人間は完璧な生き物ではありませんから、心の綺麗な方々の歪んだ感情を時々、受け取ってしまう事があります。
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親兄弟ですら、言葉とは裏腹の感情があったとしても、実際にその意識が伝わって来れば、さすがに凹みます。
結果、意識を読み取りたく無い相手とはどうしても距離を置く羽目になってしまい…

「一生涯、孤独…」

この不思議な能力"心の眼"は生涯、私の中に残り続けて周囲の心の声を聞き続けるでしょう…
そして相手が放つ、良いも悪いもすべての意識を含めて読み取った事を悟られない様、笑顔の演技を続けてながら生き続けます…
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決して逃れる事の出来ない卓越した才能が故の無限地獄…
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果たして私と同じ、悩みに苦しみ続けている方はいるのでしょうか?

特段、同じ苦労をしている方々を見つけて傷を舐め合うような輪を作ろうなんて考えてはいませんが、実際に私の様な"心の眼"を持ち合わせた存在を知りたくて書き綴ってみました…
2012年も終盤に入り、暑かったり、寒かったりとヘンテコな陽気も落ち着いて、朝晩はグッと冷え込んできました。

いよいよ、あったか"鍋"シーズン到来です!!
主婦には大人気の"お鍋料理"…

その理由は言うに及ばず、時間も手間もかからない、究極の手抜きレシピだから…

お野菜をザックリ刻んでお肉や魚と一緒にお鍋に放り込めば、立派なメインディッシュの出来上がり~♪

キムチ鍋やちゃんこ鍋もいいけど…
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究極の手抜きはやはり、「水炊き」でしょうね~
なんたって、昆布と水を張ったお鍋に具材を入れるだけですから…
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私の場合、地元野菜の水菜やしめじ、ネギや薄切り大根なんかとメイン具材の鶏肉をブツ切りにして"とり鍋"にしちゃいます♪

サッと煮えて火が通ったところをポン酢にくぐらせて、パクっと食べれば、具材から滲み出る旨みがポン酢の酸味と絡まって、「うぉ長音記号1」思わず絶句!!

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水炊きの良いとこは、野菜やお肉なんかの旨味を殺す事無く、食材それぞれの素朴な美味しさを堪能出来るところ…
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そして、その具材の自然な味わいは"ポン酢"の善し悪しで大きく変わります。

量販店の陳列棚に並ぶ、お酢と正油に柑橘の香料を足した"ポン酢もどき"では、絶対に食材の旨さを味わうことは出来ません…
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きっと、食事に純粋な美味しさを求める方なら、この意味をご理解頂けることでしょう…

今、日本のグルメは激安ブームに終わりを告げ、こだわりの美味しさを持つ食品が陽の目を浴び始めています。


"コストパフォーマンス"と言う耳障りの良い、儲け主義の大手メーカーの商品とは全く異なる、惜しみ無い原材料と手間をかけた"本物"が続々と世間に生まれて来て、日本の食文化を元気に楽しませています。


そして、私もそんな日本の楽しい未来に夢を見る一人として"こだわりの調味料"を作ってます。

そう。心から"うまい!!"と言える調味料を目指して…ホントに小さく小さくですが、気長に楽しみながら本物づくりを行ってます。

ここ最近は同じ方向の仲間も増え始めて、より楽しくなってきました。

ウチの屋号は"日本のうまい"
そして、ここに本当にうまい本物のポン酢があります。
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ウマイもん好きのグルメな人、是非ともウチのポン酢で水炊きをやってみて下さい!!
本物の味を知れば、食事をする価値観が大きく変わりますよ!?
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それじゃ、私も地元の野菜と長年ハマってる鳥取のブランド"大山鶏"で水炊き楽しみます♪


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前回のブログ "選択ミスれば、生き地獄!?" では水俣病の患者は未だに苦痛を強いられていると書きました。そして、実際に水俣病と闘って来た本物の医師が今年、他界しました。
今回は現在も続く、『水俣病の真実』をネット記事から引用してお届けします。

NEWSポストセブン より引用 :

水俣病研究の原田正純氏「うわー、よか先生」と慕われていた

2012.6.11、水俣病研究の原田正純氏が77才でその生涯を終えた。水俣病研究の第一人者として知られる原田さんは、常に患者の思いや立場を考え、裁判では国・企業を相手に真っ向から闘ってきた。
発生当初から水俣病の取材を続けてきた作家の石牟礼道子さん(85才)は、当時、水俣の漁村でよく原田さんの姿を見かけたという。

「先生が集団検診に水俣に来られたときに、子供たちと遊んでいる姿を見ました。検診の最中も白衣に子供たちがしがみついて、まるで猫の子が甘えて人間のそばに寄ってくるような感じ。“うわー、よか先生”と思いました」(石牟礼さん)

 原田さんはある日、漁村での診察を終えた帰り道で、水俣病の症状がみられる幼い兄弟に出会う。しかし、兄弟の母親と話していると、兄は水俣病だが、弟は違うと診断されたという。「上の子は魚を食べたが、下の子はお腹の中にいたので魚を食べていない」からだと。続けて、母親は原田さんに真剣な表情で訴えた。

「でも、下の子も本当は水俣病だと思う。お腹の中にいるとき、私がいっぱい魚を食べたからいけんのよ。胎内にいたこの子が水銀を吸い取った。だから私の症状は軽いとよ」

 毒物は胎盤を通らないという当時の医学の常識からいえば、母の話は笑い飛ばされてしまうような“素人の発想”。だが、原田さんの心の中で何かがひっかかった。

 周辺地域の患者たちをくまなく歩いて調べると、同じような症状の子供が多く生まれていた。全員の症状を細かく分析し、ある共通項を発見。そして、母親の魚介摂取でお腹の子供が発症する「胎児性水俣病」を世界で初めて発見し、1968年に論文を発表した。
 このとき、原田さんは28才。水俣病研究の新境地を切り開く“世紀の発見”だった。

「いちばんの専門家は、医者じゃなくて患者さんだよ」

以来、原田さんは折に触れてこう口にするようになったという。
「お金を渡して終わりじゃない」

 政府は68年に、ようやく水俣病を公害と認定した。その後、水俣病患者と支援者らが次々と裁判を起こし、有機水銀を水俣の海に垂れ流した熊本市内の化学工業会社「チッソ」は、被害者3000人に多額の補償金を支払うことになった。

 1973年の患者側勝訴によって世の中には、「水俣病の問題はもう終わった」という空気も流れたが、原田さんは闘いを続けた。水俣病患者の支援を通じて親交があった評論家の佐高信さん(67才)がいう。
「“お金を渡して終わりじゃないでしょう”、原田さんはそう繰り返し口にしていましたね。
 というのも、水俣病被害があった不知火海岸には当時約20万人の人が住んでいた。しかし、当初認定されたのは3000人だけ。“被害の全容も解明していないのに、何が解決だ”と。これから先、患者さんがどう生きるかの自立支援も不足していると嘆いていました」

そんな原田さんが私たちに向けた遺言は何か――

 原田さんが最晩年に心を痛めたのが、2011年3月に起きた福島第一原発事故だった。事故後、原発から海に垂れ流された放射性物質について、専門家たちは、「海の水で薄まるから、環境への影響は少ない」と口をそろえた。そんな学者たちの解説を知った原田さんは、「日本は歴史から何も学んでいないのか」とため息をついていたという。

 というのも、水俣では、海で薄められたはずの有機水銀が食物連鎖に従って高濃度に蓄積する「生物濃縮」が発生し、その魚介類を食べた住民に被害が続出したからだ。
 原発事故後の5月、原田さんは病身をおして新聞のインタビューに答え、日本社会に強く警鐘を鳴らしていた。

<水俣の苦い経験を、今度こそ、学んでほしい>(朝日新聞2011年5月25日付)
 国や大企業にもひるまない反骨の精神で「水俣病は終わっていない」との信念を貫いて生きた原田さん。遺骨は本人の強い希望で、水俣の海に散骨される。

:引用 終わり

権威あるエリート医師達が信じて疑う事の無かった『毒物は胎盤を通らないという当時の医学の常識』はいとも簡単に崩れてしまう机上の空論的な定説でした。

今、常識だと思われてる理論や定説は完璧ではないのです。

歴史的に名を残した原田さんは『郷に入れば郷に従い』直接、現状に触れ合う事によって医学の常識がズレている事に気づいたのではないでしょうか?

そして、もちろん原田さんの才能である "医師の勘" で真実を暴き、弱き者を救う本物の名医となった事は今でも語り継がれています。

皆さん、今一度、『水俣病』の歴史を思い起こして、今回の福島原発による放射線被爆を考えてみませんか?

今現在も『陸・海・空』すべての領域が汚染されています。ただ単に恐れるのでは無く、過去に学び、忌避行為も生きるための大切な知恵として学んでいきましょう。
そのためにも私は被爆の恐ろしさに気づいてもらい、被爆を回避するための知恵をこれからも書き綴っていきます。