わかにゃの歌を絶賛しようと意気込んでいた。どう褒めたたえるかということを考えた時、自然と理想の歌い方だとか、本格派アイドルの真のナンバーワンだとかいう表現が自然に頭に浮かんでいた。しかし、本当にそう思っているが、それだとほかの人はそれに劣るということを言っているようなものだ。そう考えてなかなかこの記事は書き上げることができないままでいた。
私個人が、どうしてわかにゃの歌が好きなのかという視点で絶賛することにした。
歌がうまいと私が思う必須要素は3点、言語明瞭であること、音程が安定していること、リズム・テンポが伴奏にあっていることである。これは外せない歌うまの前提要素だと思っている。その上での話として理解していただきたい。
世の中で、特に素人で歌がうまいと評価される人は、3要素を前提として、声量の豊かな人と考えられていることが多いようだ。声量とは肺活量だと思っている人も多いようだ。実は、息の量が音の大きさを決めるのではない、一番重要なことは、顔のどこで共鳴させるかということである。クラシックの声楽の場合は、眉間の少し下、あるいは鼻骨の上という指導が多いようだ。しかし、これだと日本人の場合、いわゆる声楽声になってしまい、わざとらしく聞こえてしまうため、好感を得ることが難しい。少なくともポップスには合わない。
日本人の場合、むしろ上前歯あたりに(骨格の違いによって微妙な違いあり)共鳴させたほうが、比較的自然に聞こえる。これはおそらく民謡の発声に源流があり、演歌の発声につながってきた共鳴方法ではないかと考えている。
この共鳴方法で歌うと、お上手ですねといわれることが多いようだ。また、音程を安定させやすくなる。言語も明瞭になる。強弱もつけやすい。喉も傷めにくい。
ただ、この共鳴方法でポップスを歌うと、良く言えば本格的になりすぎてしまう。お上手ですねとは言われるが、クラシック共鳴ほどではないけれど好感は持たれにくい。むしろうまいだけに嫌味に聞こえたりもする。
これをアイドルがやっちゃうと、私としては、アイドルらしくない、「どすのきいた」歌になってしまうように感じてしまう。まあ、楽曲の曲調によっては気にならない場合もあるけれど、いじらしい曲、せつない曲、かわいい曲などでは興ざめしてしまう。ちょっと怖くなったりもする。
前振りがあまりにも長くなってしまった。
わかにゃの歌声は、3要素が素晴らしいことは前提として、自然な話声の延長線で歌っているように聞こえる。クラシック共鳴でも、民謡共鳴でもないようだ。全く嫌味の無い歌声である。高音になってもかすれたり、瀕死の白鳥のようにつぶれたりしないで、安定して豊かな音量を保っている。それでいて柔らかい。豊かな音量なのに繊細さを感じられる。歌が胸にすうっと入ってくる。シルクの様な歌声だと思う。
ふだんのトレーニングの成果であることは間違いない。ハロプロのアイドルは、普段歌っているだけでなく、仕事の合間にボイストレーナーの指導を受ける人が多いようだ。わかにゃのトレーナーは素直な発声をトレーニングしているのだろう。天賦の才能と努力によってシルキーボイスは生まれたのだと思う。
楽曲の曲調によって歌い方というか発声を変えているようではある。このシルキーボイスを活かすのは、歌詞の一文字一文字を大切に歌うべき楽曲だろうと思う。ポップなセレナーデとか、ミュージカル全体の中の落ちサビのような位置づけの子守唄のような優しい歌がベストマッチだと思う。
わかにゃの歌割部分を聞いていると、一曲丸ごと聞いていたい、いつまでも聞いていたいという気持ちになる。