民主党代表選挙雑感 | ほたるいかの書きつけ

民主党代表選挙雑感

なんか色々賑やかですが。どっちがどうとかいう話ではなくて、眺めてて思ったことを書き散らしてみます。

【議員政党と組織政党】
 理念というものをどう考えるか、ということに関わるのですが。自民党がヌエのような政党、とはよく言われることで。これは、要するに理念もなにもなくて(口先ではともかく)、個々の議員の利害で組織が成り立っているということでしょう。派閥というのも、なんとなくハト派タカ派というのはあれど、じゃあ理念でつながっているのかと言えばそうではないわけで、結局はカネでつながっている。
 民主党も、その大半は自民党的なものを受け継いでできているわけで、そういう体質は十分に持っているわけです。ところが、自民党への対抗上、なんらかの理念を出さざるを得ない。政権交代の前は、「対立軸が必要」なんてあちこちで言われていたわけですが、この言葉に端的に表れているように、民主党ってのは「自民党がやってる政治のここが問題」だからなんとかしよう、ということでできたわけではなくて、自民党にいるより外に出た方がいいやと思った人の集合なわけです(もちろん、結党後に議員になった人の中には、自分なりの理念を持っている人もいることでしょう。でも、それはその人個人の理念であって、民主党の理念じゃない)。つまり、「自分が議員でいるために最適な行動はなにか」という問題の解として、民主党にいるのだ、と。
 そういうところに、何らかの形での理念めいたものを持ち込もうとすれば、当然摩擦が起きる。自民党みたいに、理念のないことが理念だというような開き直りもできない。今回の代表選も、傍から見ていると、何を問題にして争っているのかまったく理解できない。もちろん党内の事情があるのだろうということは理解していますが、それは内部の話であって、民主党が一体どういう政治をやりたいのか、ということとは関係ないし、間接的には関係あるのだとしても、党外の人間がわざわざ忖度してやるようなものでもないでしょう。

 根本的には、教科書的に言うなら「議員政党」という前近代的な党のあり方に問題があるのではないでしょうか。個々の議員の思惑の総和として組織の運動が決定される、という。自民党は「それでいいよ」という事実上の合意が内部的にはあったのだと思いますが、民主党はタテマエ上そうはいかないわけです。とすると、理念をもとに組織を作り、その理念を実現するための手段として議員を送り込むという近代的な組織政党に脱皮しなければ、いつまでたっても同じことの繰り返しになるのではないでしょうか。

 国民が望む政治の姿(政党のありかたは措いといて)と自民党政治の乖離が民主党への政権交代への原動力になったのだとすれば、これは今の民主党における根本問題だとも思えるのです。

【選挙制度と政権交代】
 さて、いまの衆議院の選挙制度はいわゆる小選挙区比例代表並立制、ってやつです。民主党内では比例部分を削れという声も大きいのですが、ここでは小選挙区の方について考えてみます。
 中選挙区制を廃して小選挙区制を導入した理由の一つが、「政権が安定する」でした。安直に考えれば、ほんのちょっとの得票率の違いを大きく拡大して議席率の違いにしてくれるわけですから、「二大政党」とやらが確立すれば、ちょっとの民意の変化でもそれを拡大して政権交代につなげることができる…というわけです。
 じゃあ実際起こっていることはなんでしょうか?
 政党間の交代以前に、首相に注目すれば、もうここ何年も、毎年首相が変わるという事態に陥っているわけです。全然政権安定してないじゃん、と。当初の小選挙区制の予想とはまったく違うことが起きている。予想通りなのは、得票率と大きく乖離した(違いを拡大した)議席率の実現。
 結局、選挙制度で政権の安定を云々する、という発想自体が間違っているのだと思います。制度という手段が結果を左右するということがまずおかしいという上に、当初のねらいだった政権の安定ということが実現できていないわけですから。

【国民の望む政治を実現するためには】
 …なんて大上段な小見出しをつけてしまいましたが、なんでコロコロと首相が変わるかと言えば、その理路はともかくとして、現象論としては、国民の願いと政治のあり方の乖離が原因なのだろうと思います。国民が「こうなってほしい」と期待して、その期待を実現するかのように訴える人が表舞台に出てきて、で国民が失望し、政権が交代する。もちろん選挙があるから民意を気にしてこう不安定になるわけですが、要するに国民が望むことを本当にやろうとしない限りは、どんな制度にしようが政権は不安定にならざるを得ないでしょうね。
 ただし、不安定にも色々あって、比例代表を本当に大幅に削ってしまえば、国民が望む声は国会内に反映されなくなって、個々の議員が生き残るためにその場限りの主張をして権力を獲得する、ということの繰り返しになるだろうと思います。その度に国民は失望し、やがて英雄待望論が(小泉賛美どころではなく)本気で出てきやしないか…と、とても心配してしまいます。


どういう結果になるのかわかりませんが、ま、あまり期待できる政治にはならないということだけははっきりしているのでしょうね。というか普天間の件はどうなったの?