『紋切型辞典』(フローベール、岩波文庫) | ほたるいかの書きつけ

『紋切型辞典』(フローベール、岩波文庫)

 poohさん が折りに触れ取り上げられる『紋切型辞典』。以前から気になっていたのだが、なかなか古本屋でお目にかかることもなく、読む機会がなかった。ところが、最近各種事情により(って血液型性格判断絡みですが)図書館に時々行くようになり、先日ふと「あ、図書館だったらあるんじゃないか?」と思って岩波文庫のコーナーにいったらちゃんとあったので借りてきた。図書館偉い。

 内容については pooh さんのブログをお読みいただくのが一番だと思うので(「紋切型」タグを含むエントリを読むべし、ただし大量にある。とりあえず、平凡社版の『紋切型辞典』が載せられているエントリ「言葉の有効範囲 」にリンクをはらせていただきます)ここでは一言だけ。19世紀フランスに見られる紋切型の表現を、辞書風に集めて揶揄したもの。ただし、揶揄であると理解するのは結構難しい。実際、私にとっては理解できるものの方が圧倒的に少ない。まあ当時のフランスの文化を知らなければどうしようもない部分はあるのだが。
 ただ、読み進めていくと、だんだん恐ろしくなる。笑える笑えないという話どころではない。文庫の解説にも書かれていたが、(ここに掲載されているかどうかは関係なく)自分の発言が紋切型ではないのかと思って何も言えなくなるのではないか、という恐怖である。それでも何かしらこうして書き連ねるわけではあるのだが、書きながら、気分は針のムシロである。

 自分のことを棚にあげて(「心に棚をつくれッ!!」)世の中を見渡してみると、特にマスコミが気になる。何も言っていないのに、何か言った気になるのが「紋切型」なわけだが、そういう記事が実に多い。政治記事などはその典型だ(政局記事じゃなくてね)。形が決まっているだけに、その形に落とし込めれば何か言った気分になれる。これは本当に恐ろしい。
 翻って己を眺めてみれば、やはりあちこちで使ってしまっているのだと思う。ニセ科学を批判するようなエントリだって、きっと「~では困ります」だの「~したほうがいいんじゃないだろうか」だの、誰でも言えるようなお決まりのセリフを使っているのだと思う。怖くて見返せないのだけど。

 もっとも、紋切型の方がいい場合もおそらくある。典型的には挨拶だ。天気の話とか。内容のある話をお互いしたいわけじゃなくて、でもお互い相手のことを不快に思っているわけではないよ、というサインを送る必要がある場合はどうしたってある。フローベールは、書簡の中で、この紋切型辞典を「人前でこれさえ言えばよい、それだけで礼儀をわきまえた感じのよい人間になれる」(岩波文庫版p.305)と買いたそうだが、裏を返せばそれだけ「役に立つ」文例集であるとも言える。一種のマニュアル本、ハウツー本というわけだ。ただし、そういうものとして使っているという自覚が薄れるにつれ、その話の中身はおそらくどんどん空疎になっていく。
 もう一つは、積極的な意味でである。読み終わってからボーッと考えていたのだが、ふと山田洋次の映画『学校』を思い出したのである。シリーズ第一作、夜間中学の物語だ。ラストシーンで仕事を終えて教師役の西田敏之らが学校の玄関から出てくる。時間は当然夜、あたりは真っ暗。そこに、雪が降ってくるのである。「あ、雪」。なんと白々しいセリフ、描写だろうか。しかし、これが、話の全体と妙にマッチするのだ。映画のパンフレットだったかどこかに書いてあった解説を読んで納得したのは、「このシーンで、山田洋次は、この映画を誰に観せたかったのかがわかる」ということ。つまり、紋切型を脱しようと「高尚」で「難解」な話をしても、それで話が伝わるとは限らない。というか、目的が全然違う。この映画は、紋切型を使いこなすことで、紋切型を紋切型でない展開に昇華させたとも言えるのだろう。

 とまあ読むと何かと考えさせられる本である。なんだかエントリを書くのがますます遅くなりそうだ。いや、大事なのは表現形式ではなく思考の内容なのだとは思うけど、表現は内容に影響も与えるしねえ。怖い怖い。

 なお、岩波版と平凡社版は、底本が異なるそうです。フローベールは若いころからこの「辞典」を作ることを考えていたが、まとまらないまま亡くなり(未完の『ブヴァールとペキュシェ』の第二巻となると晩年は構想されていたそう)、膨大な草稿が残され、それをどう解釈するか-一つの項目に対して草稿によって定義が異なる場合がある-で幾つか底本があるようです。時代とともに、その解釈も変わってきているらしいのだけど。

 あと、オマケに一つ、引用しよう。
無限小の [infinitésimal] 何だか分からないが、ホメオパシーと関係があるらしい。
訳注もあるのだが、ハーネマンについてとフランスでも流行したということが書いてあるだけなので省略。これはもちろん分子一個すら残らないほど希釈することをもって「無限小」と言っているのだと思うが、無論当時は原子論が確立する前で、物質に構成単位があるとは思われていなかったため、「無限に薄い」状態があると考えられていたとしても不思議ではない。でもまあ無限に薄められているのがホメオパシーであるという共通認識は当時からあったということなのだろう。

紋切型辞典 (岩波文庫)

紋切型辞典 (平凡社ライブラリー (268))

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