『この世界の片隅に』(下、こうの史代)
…言葉にできないくらい、凄かった。上中下の下巻。
舞台は戦中~戦後の広島・呉。そこでの日常が、淡々と描かれる。淡々とではあるが、戦禍は確実にやってくる。淡々と主人公を取り巻く人々の日常が描かれることで、戦争の被害が「数字」ではなく「個」に与えるものとして描かれるのだ。
実際、この作品を読んでも、空襲の被害や被爆の全体像はわからない(欄外に注釈が書かれてはいるが)。しかし、それが日常を生きる人々にどのような影響を与えるかは痛いほどわかる。
ぜひ読んで欲しい作品なので、内容については書かないでおくが、特に印象に残った部分をいくつか。
社会構造や加害が垣間見れる場面が一つある。玉音放送のあと、主人公・すずが敗戦に納得できず、「最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?」と外へ出ていく。戦うことが正義と信じ込まされていたすずが、外で出て見たものは、翻る太極旗。そこで、すずは自分が信じていたものが正義ではなかったことに気づき、慟哭する。
もちろん、現実にはそこまで一瞬で見抜く人などそうそういなかっただろうが、この描写があることで、この戦争の意味付けが鮮かになされるのである。
すずに感情移入して読んでいると、この瞬間に自らが信じていたものの欺瞞性が暴かれ、胸が締めつけられそうになる。
玉音放送を描いた作品は山ほどあったと思うが、ここまで鮮かに戦争あるいは侵略というものの本質を描いたものはそうそうなかったのではないか。
空襲で怪我をし、絵が描けなくなることを悟る場面も秀逸だ。単に絵が描けなくなったということだけではない。そこに、すずと他者との関係性の積み重ねが描かれることで、空襲の被害というものの意味が、単なく肉体の損傷というもの以上であることが示される。
最後の場面、広島で出会った戦災孤児とのエピソードは、「その後」への希望を感じさせ、作品全体を感慨深いものにしている。鉛筆で描かれた「手紙」から、すずたちへとつながっていく展開もすばらしい。
内容に触れないように書いたつもりなので、読まないと通じないかもしれない(すいません)。でも、これは読む価値あると思うので。
ついでに、これは日常生活の描写が(マンガタッチではあるが)実にリアルである。それは資料をふんだんに活用しているからなのだろうが、当時の生活というものが想像できるようになっている。
リアルなのは生活についてだけではない。兵器もまたリアルなのだ。呉が舞台だから、戦闘機の類のイラストも出てくるのだが、それが結構リアル(マンガタッチではあるけど)。翼の位置とか。彗星や紫電が描かれてて、思わず見入ってしまった(彗星については、子どもの頃に見たテレビの特番で、南洋諸島で発見された彗星の残骸を日本に持ち帰り、復元するというのが今でも印象に残っている。紫電については、もちろん『紫電改のタカ』ですね)。
それから焼夷弾がまたリアルで、クラスター爆弾であることがわかるような描写がされている。
『夕凪の街・桜の国』は映画になったが、この作品は連続ドラマのような形で日常を丹念に描いて欲しいなあと思う。うまく膨らませられれば、NHKの大河ドラマにもなるのではないか。
ちょっとベタボメすぎたかな。でも、それぐらいインパクトがあった。
ちょうど、ノーベル平和賞受賞者17人による、核兵器廃絶へ向けてのアピールが出た(「ノーベル平和賞受賞者ヒロシマ・ナガサキ宣言 」)。旧態依然の日本政府は相変わらず情けなく、米・オバマ大統領が核兵器廃絶へ向けて演説をし日本共産党からの書簡に返事まで出すようなこの御時世に、梯子を外されたような格好だが、「名誉ある地位を占め」るため、努力をしてもらいたいものである。
舞台は戦中~戦後の広島・呉。そこでの日常が、淡々と描かれる。淡々とではあるが、戦禍は確実にやってくる。淡々と主人公を取り巻く人々の日常が描かれることで、戦争の被害が「数字」ではなく「個」に与えるものとして描かれるのだ。
実際、この作品を読んでも、空襲の被害や被爆の全体像はわからない(欄外に注釈が書かれてはいるが)。しかし、それが日常を生きる人々にどのような影響を与えるかは痛いほどわかる。
ぜひ読んで欲しい作品なので、内容については書かないでおくが、特に印象に残った部分をいくつか。
社会構造や加害が垣間見れる場面が一つある。玉音放送のあと、主人公・すずが敗戦に納得できず、「最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?」と外へ出ていく。戦うことが正義と信じ込まされていたすずが、外で出て見たものは、翻る太極旗。そこで、すずは自分が信じていたものが正義ではなかったことに気づき、慟哭する。
もちろん、現実にはそこまで一瞬で見抜く人などそうそういなかっただろうが、この描写があることで、この戦争の意味付けが鮮かになされるのである。
すずに感情移入して読んでいると、この瞬間に自らが信じていたものの欺瞞性が暴かれ、胸が締めつけられそうになる。
玉音放送を描いた作品は山ほどあったと思うが、ここまで鮮かに戦争あるいは侵略というものの本質を描いたものはそうそうなかったのではないか。
空襲で怪我をし、絵が描けなくなることを悟る場面も秀逸だ。単に絵が描けなくなったということだけではない。そこに、すずと他者との関係性の積み重ねが描かれることで、空襲の被害というものの意味が、単なく肉体の損傷というもの以上であることが示される。
最後の場面、広島で出会った戦災孤児とのエピソードは、「その後」への希望を感じさせ、作品全体を感慨深いものにしている。鉛筆で描かれた「手紙」から、すずたちへとつながっていく展開もすばらしい。
内容に触れないように書いたつもりなので、読まないと通じないかもしれない(すいません)。でも、これは読む価値あると思うので。
ついでに、これは日常生活の描写が(マンガタッチではあるが)実にリアルである。それは資料をふんだんに活用しているからなのだろうが、当時の生活というものが想像できるようになっている。
リアルなのは生活についてだけではない。兵器もまたリアルなのだ。呉が舞台だから、戦闘機の類のイラストも出てくるのだが、それが結構リアル(マンガタッチではあるけど)。翼の位置とか。彗星や紫電が描かれてて、思わず見入ってしまった(彗星については、子どもの頃に見たテレビの特番で、南洋諸島で発見された彗星の残骸を日本に持ち帰り、復元するというのが今でも印象に残っている。紫電については、もちろん『紫電改のタカ』ですね)。
それから焼夷弾がまたリアルで、クラスター爆弾であることがわかるような描写がされている。
『夕凪の街・桜の国』は映画になったが、この作品は連続ドラマのような形で日常を丹念に描いて欲しいなあと思う。うまく膨らませられれば、NHKの大河ドラマにもなるのではないか。
ちょっとベタボメすぎたかな。でも、それぐらいインパクトがあった。
ちょうど、ノーベル平和賞受賞者17人による、核兵器廃絶へ向けてのアピールが出た(「ノーベル平和賞受賞者ヒロシマ・ナガサキ宣言 」)。旧態依然の日本政府は相変わらず情けなく、米・オバマ大統領が核兵器廃絶へ向けて演説をし日本共産党からの書簡に返事まで出すようなこの御時世に、梯子を外されたような格好だが、「名誉ある地位を占め」るため、努力をしてもらいたいものである。
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