いくらなんでも | ほたるいかの書きつけ

いくらなんでも

ええとさっきABO FANさんのブログを見たら、こんなエントリ が上がってました。あんまりにもスゴいので、引用します(一部省略)。
FSMさん『「血液型と性格」の正しい理解のために:山崎-坂元(1991)』の正しい理解のために(おまけ)

(略)

坂元さん自身が述べているのは、
 年代を遡るほど差が小さくなる→昔は差がなかった
ということになります。まあ、これは常識的な結論でしょう。
しかし、この「自己成就現象」の傾向を単純に延長するなら、
 年代が下るほど差が大きくなる→そのうち強い相関になる
ということになります。:-p
ということは、考察の、
2. 血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた。さらに、一般の人々の性格の自己報告は、大学生の血液型ステレオタイプに合致していることがわかった。
6. ただし、血液型と性格の自己報告との間の関連は小さいものであり、その差を統計的に検出するには数千人単位のデータを要するのであり、個々人単位に「▽型の人は△△だ」といった主張はできないと思われる。
は否定されてしまうのです。
そんな馬鹿な! そのうち強い相関になるなんてありえない!! というなら、昔は差がなかったという推測も取り消さないといけなくなるのです。
私も、つい最近気がつきました。
なんでやねん、と思わずつぶやいてしまいましたが、アナタもそうですよね?ね?

 「そのうち強い相関にな」りかねないから、自己成就現象があるかどうかが気になるわけですよ。私が前のエントリで、血液型性格判断を否定したいという立場からはこの現象があってくれたほうが血液型性格判断の非人道的な側面が明瞭に表われるので都合が良いということを述べたわけだが、それは、当然「そのうち強い相関になる」可能性が読み取れるので、そう言っているわけです(無論、どこまでも単調に強くなるのか、あるいはそもそも山崎・坂元論文で検出された自己成就現象は本当にリアルなものなのか、という議論はあるわけですが)。

 まあこれをお読みになっている皆さんはもうお分かりだと思いますが(約一名を除いて)、まとめておきます。

  1. (少なくとも昔は)血液型と性格に相関はほぼなかった。
  2. もし自己成就現象がリアルなら、将来、強い相関となる可能性がある→だからそんなことにならないように、血液型性格判断は批判されなければならないし、安易にテレビ番組で肯定的に取り上げるようなことはしてはいけないし、『an・an』に代表されるような雑誌での取り上げ方や「○型○○の説明書」みたいな形で肯定するような書籍に対しては批判の声をあげていかなければならない。
  3. もし自己成就現象がフェイクなら、いまにおいても相関はほぼない。
言わずもがなですが、「昔は差がなかったという推測も取り消さないといけな」いのではなくて、「今でも相関はごくごく弱い(あったとしても)」ということですね。
 …詭弁にも程がある。自覚してるかどうかわからないけど。

 ていうかさ、ホントについ最近気づいたの?