たまごたまごたまご~
たまご~を~たべ~ると~ じゃなくて。
『イケナイ宇宙学』をゲットしまして、始めのほうをつらつら読んでいたのです。いやあ、面白い。内容もだけど、文章自体も面白い。訳も苦労されたんだろうなあと思いました。まだ第一章しか読んでないのですが。
第一章は、「キミ、だまされてない? 春分の日と卵の関係」。アメリカをはじめ、世界じゅうで、春分の日ごろに「卵を立てる」という儀式が行われる、というのである。まあ普通は「立つまい」と思うのだが、春分の日に限って「立つ」といので、テレビもこぞって子どもたちが立てる姿を報道するわけ。
もちろん、春分の日に限らず、うまくやれば卵は「立つ」。地球と太陽の位置関係がどうの、とかいうのは間違いで、いつでも「立つ」、が結論で。問題は、春分の日以外にやろうとした人がいなかったので検証されてこなかった、いくら春分の日に「立った」と「実験」しても、それでは検証にはならない、それ以外の日に立たせることができれば、「反証」になるから、という話が展開される。
著者は、講演では卵を立てる実演をするそうなのだが、ある教師からメールをもらったという。その教師は、実際に生徒たちと卵をたててみて、春分とまったく関係ない日に成功し、また一ヶ月以上ものあいだ、そのまま立っていたと報告してきたそうだ。その重要な教訓として、
ついでにもう一つ重要な言葉を述べているので、先回りしてそれを紹介しておこう。
でまあそのこと自体大事なことではあるのだけれども、ここで紹介しようと思ったのはそのことではない。
まず一つ目。どうして卵が立つのか?著者はいくつかの仮説を立てた。そして、卵の底にある小さな突起のためではないか、と考えた。ところが、この教師の生徒たちは、卵のてっぺんを下にしても立てられたという。卵のてっぺんは出っぱりがないので、この説は間違いだと著者は結論づけた(結局原因はなにかは述べられていない)。ちなみにこのことが上で引用した言葉を言わせた原因になっている。
二つ目。この話が流布したのは、『ライフ』誌の1945年3月19日号に、重慶の町で人々が繰り出し卵を立てているのを記事にしたことに始まるらしい(そもそも中国でどのようにしてそんな慣習が始まったかはわからないが)。中国では立春の日に卵を立てる慣習がある、ということなのだが、「立春」というのが「春分」に変化してアメリカに広まったらしい(直接関係ないが、私は戦史のことはよくわからないのですが、1945年の3月は、もう日本軍からは解放されていたのだろうか?ついでに、重慶といえば重慶爆撃 のことを、我々日本人は忘れるべきではないだろう)。
さて、このあたりで、私は「どこかで聞いた話だなあ」と感じていたのである。で、思い出した。『中谷宇吉郎随筆集』に載っていた話ではないか(『雪は天からの手紙』にも掲載)。この本の終わりの方に、「立春の卵」と題したエッセイが載っている。「昭和二十二年四月一日」付けの記事だ。
このエッセイ、次のような文章で始まる。
ただ、次の文章を見ると、
でまあ以上は細かいいきさつで、本質ではない。
中谷は大いに興味を持ち、自分で実験してみている。理屈も色々考えている。しかも単に立っただけではなく、流動性との関係を調べるために、ゆで卵でも実験してみている(最初の卵がゆでる時に子どもに割られてしまい、近所に買いにいかせたがなかなか手に入らず、子どもが病気だからと嘘をついてやっとわけてもらったというのはまだ戦後2年もたたない時代を思わせる)。ゆで卵も無事立ち、さらにそれを切ってみて、重心の位置もなにも変わっておらず、要するに卵というのは立つようにできているのだ、と述べ、
中谷はさらに考察をすすめ、卵がわずかに変形しているのではないかと考え、ヤング率を適当に与えて(樫の木程度に)、机との接触面積を求めている。計算によると、接触する円の直径は0.0022mmとなった。重心がこの範囲に入っていれば立つ、というわけである。しかし、あまりにも小さすぎないか?というので、次に考えたのが、『イケナイ宇宙学』の著者が「誤り」とした卵の表面の凸凹である。しかし中谷の凄いところは、見た目のざらざら・すべすべさだけで判断するのではなく、顕微鏡で見てみたところにある。そして、凸凹具合は0.03mm程度に過ぎないが、突起の感覚は0.8mmぐらいだったということだ。すると、半mm程度の精度でうまく重心をとれば、突起を支えにして卵は立つというわけである。
もちろん中谷らが卵のどの部分を顕微鏡で覗いたのかはわからない。しかし、これは説得力があるように思われる。実際のところはどうなのだろう。
最後はこう締めくくられている。
というわけで、これを見せられたら自分でもやってみないわけにはいかないだろう、ということで、家にある卵でやってみた。…ダメです、立ちません!! (^^;;
これで卵が立ってる写真が載せられたら格好いいなあと思っていたのだが、どうも私には根気が足りないようだ。そのうち、表面がざらざらのいい卵を買ってきて、リベンジしたいと思う。
ちなみに、中谷宇吉郎といえば、TAKESANさんも紹介している 『科学の方法』(岩波新書)がオススメです。
『イケナイ宇宙学』をゲットしまして、始めのほうをつらつら読んでいたのです。いやあ、面白い。内容もだけど、文章自体も面白い。訳も苦労されたんだろうなあと思いました。まだ第一章しか読んでないのですが。
第一章は、「キミ、だまされてない? 春分の日と卵の関係」。アメリカをはじめ、世界じゅうで、春分の日ごろに「卵を立てる」という儀式が行われる、というのである。まあ普通は「立つまい」と思うのだが、春分の日に限って「立つ」といので、テレビもこぞって子どもたちが立てる姿を報道するわけ。
もちろん、春分の日に限らず、うまくやれば卵は「立つ」。地球と太陽の位置関係がどうの、とかいうのは間違いで、いつでも「立つ」、が結論で。問題は、春分の日以外にやろうとした人がいなかったので検証されてこなかった、いくら春分の日に「立った」と「実験」しても、それでは検証にはならない、それ以外の日に立たせることができれば、「反証」になるから、という話が展開される。
著者は、講演では卵を立てる実演をするそうなのだが、ある教師からメールをもらったという。その教師は、実際に生徒たちと卵をたててみて、春分とまったく関係ない日に成功し、また一ヶ月以上ものあいだ、そのまま立っていたと報告してきたそうだ。その重要な教訓として、
これは、聞いたことを鵜呑みにしようとせず、自分で確かめようとする人の好例だ。それこそ科学の神髄なのである。としている。
ついでにもう一つ重要な言葉を述べているので、先回りしてそれを紹介しておこう。
科学のすばらしさのひとつは、みずからを改善していくところにあるが、もうひとつは、その改善のきっかけがどこから訪れるのかわからない点にある。私の場合、ミシガン州マンセロナ(引用者注:上記教師の在住地)からだった。噛みしめたい言葉だ。
でまあそのこと自体大事なことではあるのだけれども、ここで紹介しようと思ったのはそのことではない。
まず一つ目。どうして卵が立つのか?著者はいくつかの仮説を立てた。そして、卵の底にある小さな突起のためではないか、と考えた。ところが、この教師の生徒たちは、卵のてっぺんを下にしても立てられたという。卵のてっぺんは出っぱりがないので、この説は間違いだと著者は結論づけた(結局原因はなにかは述べられていない)。ちなみにこのことが上で引用した言葉を言わせた原因になっている。
二つ目。この話が流布したのは、『ライフ』誌の1945年3月19日号に、重慶の町で人々が繰り出し卵を立てているのを記事にしたことに始まるらしい(そもそも中国でどのようにしてそんな慣習が始まったかはわからないが)。中国では立春の日に卵を立てる慣習がある、ということなのだが、「立春」というのが「春分」に変化してアメリカに広まったらしい(直接関係ないが、私は戦史のことはよくわからないのですが、1945年の3月は、もう日本軍からは解放されていたのだろうか?ついでに、重慶といえば重慶爆撃 のことを、我々日本人は忘れるべきではないだろう)。
さて、このあたりで、私は「どこかで聞いた話だなあ」と感じていたのである。で、思い出した。『中谷宇吉郎随筆集』に載っていた話ではないか(『雪は天からの手紙』にも掲載)。この本の終わりの方に、「立春の卵」と題したエッセイが載っている。「昭和二十二年四月一日」付けの記事だ。
このエッセイ、次のような文章で始まる。
立春の時に卵が立つという話は、近来にない愉快な話であった。興奮が伝わってくる文章だ。さらに、
二月六日の各新聞は、写真入りで大々的にこの新発見を報道している。もちろんこれは或る意味では全紙面を割いてもいいくらいの大事件なのである。
『朝日新聞』は、中央気象台の予報室で、新鋭な科学者たちが大勢集って、この実験をしている写真をのせている。七つの卵が滑らかな木の机の上にちゃんと立っている写真である。『毎日新聞』では、日比谷の或るビルで、タイピスト嬢が、タイプライター台の上に、十個の卵を立てている写真をのせている。札幌の新聞にも、裏返しにしたお盆の上に、五つの卵が立っている写真が出ていた。これではこの現象自身は、どうしても否定することは出来ない。ということで、気象台でガン首揃えて卵を立てている場面が想像できて微笑ましくもある。
ただ、次の文章を見ると、
上海ではこの話が今年の立春の二、三日前から、大問題になり、今年の立春の機を逸せずこの実験をしてみようと、われもわれもと卵を買い集めたために、一個五十元の卵が一躍六百元にはね上ったそうである。それくらい世の中を騒がした問題であるから、まんざら根も葉もない話でないことは確かである。と書いており、中国全土で慣習になっていたわけではないことを示している。さらに、
『朝日新聞』の記事によると、この立春に卵が立つ話は、中国の現紐育(ニューヨーク)総領事張平群氏が、支那の古書『天賢』と『秘密の万華鏡』という本から発見したものだそうである。そして、国民党宣伝部の魏氏が1945年即ち一昨年の立春に、重慶でUP特派員ランドル記者の面前で、二ダースの卵をわけなく立てて見せたのである。丁度硫黄島危しと国内騒然たる時のこととて、日本では卵が立つか立たないかどころの騒ぎでなかったことはもちろんである。さすがにアメリカでも伯林(ベルリン)攻撃を眼前にして、この話はそうセンセーションを起すまでには到らなかったらしい。とのことだ。だから、「慣習」というほどではなかったのであろう。
でまあ以上は細かいいきさつで、本質ではない。
中谷は大いに興味を持ち、自分で実験してみている。理屈も色々考えている。しかも単に立っただけではなく、流動性との関係を調べるために、ゆで卵でも実験してみている(最初の卵がゆでる時に子どもに割られてしまい、近所に買いにいかせたがなかなか手に入らず、子どもが病気だからと嘘をついてやっとわけてもらったというのはまだ戦後2年もたたない時代を思わせる)。ゆで卵も無事立ち、さらにそれを切ってみて、重心の位置もなにも変わっておらず、要するに卵というのは立つようにできているのだ、と述べ、
この場合と限らず、実験をしないでもっともらしいことを言う学者の説明は、大抵は間違っているものと思っていいようである。とおっしゃる。ああ、なんと厳しいお方よ。
中谷はさらに考察をすすめ、卵がわずかに変形しているのではないかと考え、ヤング率を適当に与えて(樫の木程度に)、机との接触面積を求めている。計算によると、接触する円の直径は0.0022mmとなった。重心がこの範囲に入っていれば立つ、というわけである。しかし、あまりにも小さすぎないか?というので、次に考えたのが、『イケナイ宇宙学』の著者が「誤り」とした卵の表面の凸凹である。しかし中谷の凄いところは、見た目のざらざら・すべすべさだけで判断するのではなく、顕微鏡で見てみたところにある。そして、凸凹具合は0.03mm程度に過ぎないが、突起の感覚は0.8mmぐらいだったということだ。すると、半mm程度の精度でうまく重心をとれば、突起を支えにして卵は立つというわけである。
もちろん中谷らが卵のどの部分を顕微鏡で覗いたのかはわからない。しかし、これは説得力があるように思われる。実際のところはどうなのだろう。
最後はこう締めくくられている。
人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、余り人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。この中谷のエッセイと『イケナイ宇宙学』との間には60年の歳月が流れている。それにも関わらず、(詳細はともかく)なんと思考経路の似ていることだろう! これが科学的思考というものだろう。盲点の存在及びそれへの警鐘も含めて。卵の話それ自体も面白いのだが、この二つの話の存在がさらに面白かった。人間である以上、科学者といえども様々なバイアスは避けられない。それが社会構成主義のような相対主義的な科学の理解の支えになっている。しかし、それを当然に踏まえた上でいかに客観的真理に迫るかという実例を、同じ対象に対する時代も地域も異なる独立な事例を見ることで、本当の科学の営みというものを垣間見る思いがする。
立春の卵の話は、人類の盲点の存在を示す一例と考えると、なかなか味のある話である。これくらい巧い例というものは、そうざらにあるものではない。紐育・上海・東京間を二、三回通信する電報料くらいは使う値打のある話である。
というわけで、これを見せられたら自分でもやってみないわけにはいかないだろう、ということで、家にある卵でやってみた。…ダメです、立ちません!! (^^;;
これで卵が立ってる写真が載せられたら格好いいなあと思っていたのだが、どうも私には根気が足りないようだ。そのうち、表面がざらざらのいい卵を買ってきて、リベンジしたいと思う。
ちなみに、中谷宇吉郎といえば、TAKESANさんも紹介している 『科学の方法』(岩波新書)がオススメです。
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