今日の江本ブログ1/19 | ほたるいかの書きつけ

今日の江本ブログ1/19

 なんか忙しくて反応するのもしんどいのだけど、言わねばならぬ。
 1/19の江本勝のブログ について。
 例の、ハドソン河不時着で一人も死者が出なかった件を引き合いに出して、こう言う。
うん、ぼくもまだまだ頑張らなくちゃいけない。きっといつかは世界の人々は、今回のように互いに手を取り合って、助け合うようになってくれるに違いない。もし人々の取るべき航路が的確に示されるならば、と思ったしだいです。
そう、世界の人々が互いに手を取り合って、世界の進むべき道へ歩いていかなければならない。

 しかし。
 まさに、そう。「取るべき航路が的確」でなければならない。

 そして、それは江本勝が主張するような「航路」ではない。

 江本勝が主張する航路においては、確かに一部の人々は互いに手を取り合うかもしれない。しかし、それで愛だの感謝だの祈っているだけでは世界の進歩はない。具体的に批判するべきは批判し、具体的に改善するべきは改善し、具体的に克服しなければいけないことは克服していかなければならない。あらゆることは具体的に実行されなければならない。祈っているだけでは何も変わらない。百歩譲って(元がゼロだから無限に譲らないといけないのだが)「愛・感謝」で水の結晶が「綺麗」になったところで、そのことは変わらない。問題を具体的に乗り越えない限り、何も変わらないのだ。

 さらに言えば、祈ったり念じたりという行為に矮小化することで、具体的な問題への取り組みを弱体化させるという効果さえあるのだ、「水伝」には。

 平和な世界、すべての人が人として尊重されて生きることができる世界へ進もうという努力の足を引っ張るのが、「水からの伝言」なのだ。江本勝がどう考えているかは関係ない。彼の意図とは無関係に、「水伝」はそういう役割を持っている。
 科学的言辞を弄びつつ、現実世界を見る目を曇らし対応を誤らせるイデオロギーをその中心に抱えるもの、それが「水伝」。あらゆる側面から批判し、孤立化・無力化していく必要があるのだと思う。