『学生と恥』西炯子 | ほたるいかの書きつけ

『学生と恥』西炯子

 いろいろ整理してたらうっかり発見してしまった。
 これを読んだのはいつごろだったろうか。出版が1998年1月と書いてあるので、10年以内であることは確かだ。

 それまで西炯子という人は全く知らなかった。名前すら見たことがなかった。後から知ったが、私がまったくマークしていないジャンルで活躍されている方だった(いわゆるボーイズラブ系^^;;)。
 これはBOOK-OFFで買ったもの。値段のシールが貼ってある。どこのBOOK-OFFだったかも憶えていない。タイトルと表紙のイラストだけで買った。

 西炯子の学生時代に書いたマンガを集めたもの。それに、当時を振り返っての、作者のエッセイ(とエッセイ的4コマ)が挿入されている。
 この本に魅かれたのは、マンガそのものより、このエッセイによるかもしれない。こう言っては失礼だが、掲載マンガの多くはまさに「やまなし、おちなし、いみなし」(いや、意味はあると思うが)で、絵も綺麗ではないし、良くできた作品とは言い難い。しかし、エッセイで描かれる学生時代の行き場のないエネルギーに翻弄される様が、これらのマンガには見事に表れているという気がする。気がする、というのは、エッセイなしに、マンガ単体で読んでいたらどういう感想を持ったかが自分でもよくわからないからだ。後年の作品と違って、少しSF的要素もあるので、面白いことは面白いのだが。

 私は松本零士の四畳半モノが大好きで、「男おいどん」なんか涙なしには見られない。この『学生と恥』の世界は、女版おいどんだ。と自らも語っておられる。マンガの中の世界は違うけれども。学生時代、木造の六畳一間、風呂なしトイレ共同の部屋に住んでいた(もちろん、アパートの名前は「○○荘」だった)私としては、そういう「形」も含めて、なにかと共感してしまうのだ。

 学生時代って、なんだったんだろう。いま思い返しても、よくわからない。なんか色々必死だった気がする。その必死さの一部でも、もう少し勉強に向けていれば…と思わないでもないけれど、でもまあ今更言っても仕方ない。
 あの年頃は、初めて一人で「社会」と向き合って、日々の経験や本や新聞から得た知識を必死に自分の中で消化して、自分の中で自分なりの「世界」を構築する時期なんだよね、きっと。あの年頃を通過して、ようやく、新しい経験を己の中の既存の体系に組み入れて「理解」していくことができるようになる。己のうちに「体系」ができるまでは、新たに直面すること・ものをどう位置付けていいかわからず、必死にもがくしかない。それは必然的に遠回りで無駄だらけで、間違いもいっぱいするけれど、でもそのおかげで「体系」を構築できる。陳腐だけれども、正解ばかりの人生では、骨太な体系は作れないんじゃないか、と思う。だから、つらいことも一杯あったし、もちろん楽しいこと嬉しいことも一杯あった学生時代は、私にとっては必要な時間だったのだと思う。

 そんなことを、つい考えてしまう本なのだな、この『学生と恥』というヤツは。
 そんなだから、亀@渋研Xさんがこの間書かれたエントリ「興と意」 の中の次の一言、
なんだろうね、10代の感受性の豊かさというのは、ある部分においては無知が支えているのかもしれませんね。
というのが、妙に突き刺さるような感じがするのだ。いい意味で。

 結局、西炯子の作品は、幾つか読んだけれどもどうも肌に合わなかった。ボーイズラブ的なものも、魔夜峰夫のようにやってくれると面白いんだけど。彼女の繊細さを味わうには、私にはそういった設定が障害であったのだな。

 というわけで(?)、明日からまたガンバロー! ってもうこんな時間だけど。(^^;;

現在廃刊の模様。古本では出てるようなので、amazonにリンクだけ張っておきます。
『学生と恥』(上)
『学生と恥』(下)