米大統領選雑感 | ほたるいかの書きつけ

米大統領選雑感

 今日来たspamの話ではなく、本物の大統領選の話。
 民主党のオバマが当選。アメリカ史においては、初の黒人大統領ということで、大きな意味があるのだろう。
 これに関連して言えば、アメリカでは、まだまだ人種の壁が厚いな、ということだ。『読売』のこの記事 によれば、

 年代別でみると、オバマ氏は18~29歳でマケイン氏の倍以上の支持を得たほか、30~44歳でも52%とマケイン氏を引き離した。

 人種別では、白人層でマケイン氏が10ポイント以上リードしたが、オバマ氏は、黒人層をほぼ独占したほか、2004年の大統領選でブッシュ大統領の当選を支えた中南米系、アジア系でも約3分の2を固めて逆転した。

 オバマ氏は無党派層でマケイン氏に6ポイントの差を付けたほか、04年に投票しなかったと回答した人のうち、71%の支持も得ており、従来の民主党の基盤ではない層の掘り起こしに成功した。

 性別では、男性は互角だったが、女性ではオバマ氏が12ポイント差でマケイン氏を大きくリードした。特に未婚女性の72%、働く女性の60%がオバマ氏に投票した。

 (中略)

 所得別では、所得が低い層ほどオバマ氏に多く投票する傾向があり、年間所得が5万ドル未満の人の60%がオバマ氏を支持した。


となっている(約1万7千人の出口調査)。全体の得票率がちょっと検索しただけでは出なかったので(各州の獲得選挙人数は簡単にわかるのだけど、世論を見るには得票数を見ないといけない。でも、そこまで書いてる記事が見当たらないんだよねえ。困ったもんだ)なんとも言えないのだが、「白人層でマケイン氏が10ポイント以上リード」「オバマ氏は、黒人層をほぼ独占」がやはり気になる。懸念されていた「ブラッドリー効果」が現れなかったため、その意味ではアメリカ社会も進歩しているのだろうが、まだまだ先は長いのだろうなあ、と思う。

(追記)後述の浅井基文氏の最新エントリ によると、「オバマ 6200万票余り(52%)、マケイン 5500万票余り(46%)」だそうだ。接戦ですね。

 さて、確かに画期的であったかもしれないオバマ氏の当選であるが、実際問題、それほど期待できるものなのだろうか?と言うと、あまり喜べるものではないだろうと思う。端的に言えば、オバマとマケインの、あるいは民主党と共和党の争いは、「どうしようもないダメダメ」対「最低最悪というほどでもないかも」の争いなのではないか。ブッシュがあまりにも酷かったので、それに比すれば、少しでもマトモなことを言っていれば、なんか凄いように見えてしまいそうな気がする。
 確かにオバマの勝利演説は素晴らしいと思う。素晴らしいと思うし、実際民主主義に反するような行為をしばしば見せつけられる日本国民としては、そうだよなあ、と思う。

 ただ、問題はその先だろう。
 (西)ヨーロッパの国の選挙では、勝利者はこういった類の演説はあまりしないのではないか。少なくとも私にはあまり印象がない(選挙という文脈での演説)。まるで独立戦争に勝利したかのような興奮をアメリカ国民は味わっているのか。そうだとすれば、それは日常があまりに不幸だということの裏返しではないのか。
 ヨーロッパでは国の指導者が変わり、急激な変化を起こそうにも、それが人々の利益に反するのであれば、強力な反対運動により制御される。地道な住民運動や労働運動が根付いており、国のトップの座につかなくても、要望が反映される道がある。
 もちろんアメリカにもとても多くの運動が存在するけれども、どうも「面」としてつながっていないように見えて仕方がない。なにか問題があって、それについての運動が盛り上がっても、その背景、つまり「なぜそういう問題がおこるのか」というところまで踏み込まれず、ピンポイントの課題で盛り上がっているように見えるのだ。

 まあこれはあまりに単純な描き方ではあるとは思うけれども、結局、国民が政府をどれだけコントロールできているのかの違いなのではないだろうか、と今回の大統領選を見てて思うようになった。アメリカでは国民が国をコントロールできないので、夢を語る大統領に己の願望を重ね合わせ、一票を投じる。普段の生活があまりに窮屈なため、強い指導者を夢想する。
 実は、こういう構造を変えることこそが、アメリカにとっては最も重要な課題なのではないか、とさえ思う。

 さて、オバマはなにをやってくれるのだろう。イラクはどうする?アフガンは?北朝鮮は?キューバは?南米は?医療制度をマトモなものにできるか?貧困を克服できるか?断片的な言葉は聞こえてくるが、実際のところどうなのだろう。選挙戦術上の発言ぽいのもあったしなあ。
 ひとつ期待しているのは、核兵器廃絶へ向けての具体的行動である。核兵器のない世界へ、ということを公言したからだ。ただし、あくまでも「究極的」廃絶、ということらしい。つまり、廃絶は永遠の未来にやろうね、と言い換え可能な言い方だ。→浅井基文氏のコラム参照
 いずれにしても、実際にどういう行動をするのか、注視していきたい。

 ところで、今回は輪をかけて共和党・民主党以外の候補の動きが報じられなかったように思うのだが、どんな調子だったのだろう。たしか、ラルフ・ネーダーを含め、3人ほど立候補していたと思うのだが…。
 「黒か白か」のような判断(二分法だ!)を迫る二大政党制というものは、やはり困りものだと思う。