国民にとって無意味な政権交代 | ほたるいかの書きつけ

国民にとって無意味な政権交代

 あちこち出張に行ったりしてなかなかネットを巡回できず、ましてや自分のブログを更新することもままならない状態ですが、さすがに大問題だと思うので、少しだけコメント。

 福田首相の辞任表明だが、福田やその周辺の「思惑」についてアレコレ詮索してなにかわかった気になるのはもうやめよう。そんなことは、はっきり言ってどうでもいい。
 われわれが考えるべきことは何か。それは、福田が何をやってきて、次の首相がなにをやろうとするか、だ。

 とはいえ、その答えは明白である。自民党から首相が出る限り―そして民主党が仮に政権を取ったとしても―われわれにとっては大差ない、ということである。
 この10年のわれわれの生活がなぜ苦しいか。それは大企業対策を優先し、一般国民のことはそのオコボレで十分であるという政策が大手を振ってまかり通ってきたからと言って過言ではないであろう。法人税が半減していることに端的にあらわれているように、財界の意向を最大限に尊重し、その意向に反しない程度に国民の人気取りに腐心してきたというのがこの10年の自民党「的」政権の基本姿勢だろう。
 だから、自民党政権が続く限り、われわれは何かを期待すべきではない。もちろん、期待できないということと、文句を言うこととは別である。大いに文句を言うべきである。
 
 問題は、自民党「的」政策が続いているということにある。ということは、つまり、自民党の所詮はコピーにすぎない民主党が政権を取ったところでわれわれの苦境はなにもよくならないということを意味する(部分的に良くなる部分はあるかもしれないが、全体として悪くなる方向が変わることはない)。

 われわれが見るべきなのは、誰が次の首相に、とか、どういう思惑でこうなったか、ということではなくて、われわれの生活(広い意味で)に対して、どういう政策で臨むのか、その意味である。
 マスコミがジャーナリズムを標榜するのであれば、その視点での報道を強く望む。内輪のドタバタなどどうでもいいのである。それがわれわれにどういう意味を持つのか、それを明らかにしてほしい。