『疑似科学入門』
池内さんの新刊、岩波新書。
まず、この本が対象にしているのはどういった人々か。ひとつには、(当たり前だが)岩波新書を読むような人である。つまり、一応、ソレナリには論理的・科学的思考の訓練がされている―あるいは、それができているかどうかはともかく、そういう思考に割りと触れている―人々である。おそらく、「あるある大事典」を見て納豆売り場に駆けつけるような人には、たぶんこの内容は届かない(いやもちろん、普段は論理的に考えられる人でもコロッと騙されるのが怖いところなのだけれど、まあ象徴的な意味で)。だから、実際は「入門」というような内容ではない。もちろん、エライ先生が「これはニセだよ」と言ってくれてるなあ、という程度には意味があるだろうけど。
では、ソレナリに科学あるいはニセ科学(疑似科学)について考えたことのある人にとってはこの本はどういう意味を持つか。
端的に言うと、この本の題名は「疑似科学入門」より、「『疑似科学』論・試論」ぐらいのほうが相応しいのではないか、と思う。著者は、さまざまな疑似科学を第1種・第2種・第3種と分類することを(試みとして)提案している。それは、多くのニセ科学(擬似科学)についての本が、様々なニセ科学を羅列的に取り上げ個別に批判するスタイルであり、疑似科学というものをどう捉えるか、系統だって考えるものがほとんどなかったから、ということである(実際そうだろう)。したがって、個別のニセ科学についての分析はあまり深くない(取り上げているものは幅広いのだが)。その意味で、この本のメインはニセ科学のメタ分析である、と言ってよいだろう。
ついでに言うと、伊勢田さんの『疑似科学と科学の哲学』が「疑似科学を通して科学を見る」本だとすれば、これは「疑似科学そのものを真っ向から見る」本である、と言えるかも知れない。
最近のニセ科学批判の文脈では、主に第1種・第2種の疑似科学が批判対象となってきた。今までにも、ニセ科学には色々なタイプがあり、すべてが同じような構造を持つわけではない、ということが指摘され、おそらくはほぼ(積極的に批判にコミットしている人々の間では)共通認識となっているといってよいであろう。それを大きく第1種・第2種に分類し、さらにそのサブカテゴリーとして各種ニセ科学を考えることは、一つの試みとしては考える価値がある。ただし、この本で提示された分類ではまだ不十分で、今後つめていく必要はあると思う。
さて、この本でもっとも注目すべきなのは、やはり第3種疑似科学についての分析だろう。ここは、以前から複雑系に注目してきた著書だけのことはあり、複雑系の本質を踏まえた分析になっている。
第3種疑似科学の例としては、「地球温暖化」「地震予知」「プリオンと狂牛病」などにまつわる事例が検討されている。もちろん、それ自体が疑似科学というわけではない。複雑系であるがゆえに、単純な分析によって結論を出してしまうと、容易にそれが疑似科学に転化してしまう、ということである。
複雑系の特徴は、現象を左右する過程が絡み合い、個々の過程を規定するパラメータの値が変化したとき、それが現象にどういう影響を及ぼすか、簡単には言えないところにある。しかし、通常の研究は、その個々の過程を詰めるところから始まる。たとえば二酸化炭素が温室効果を持つかどうか、のように。だから、個々の研究者としては、ついつい自分が研究した部分から全体に敷衍し結論を出しがちになる。しかし複雑系が絡むと厄介なのは、そう単純には結論まで持っていけないところだ。二酸化炭素の増加には地球の冷却をもたらす過程もあるのだ(いまのところ、結果的には温暖化に寄与するようであるが)。
二酸化炭素と温暖化は一つの例であり、決着がつくまでに多くの面からの考察が必要であることを示している。しかし、アカデミックな研究と違い、これらはなんらかの対応が迫られるものでもある。そこで著者が提案するのは「予防措置原則」だ。あるいは「リスク管理」と言い換えてもいいかもしれない。
まあそういう意味でいうと、最悪のケースを想定して、現状の判断としては起こりそうにないことでも万が一起きたら大変になることについては(たとえば遺伝子組み換え作物など)、予防的な研究を優先すべきだ、としているので、リスク管理の文脈で言われてきたこととそう大きな違いはないのかもしれない。
第3種疑似科学に陥りかねない現象は、政策決定とも絡むだけに分析が難しい。現象を規定する過程の一部だけを見ても判断がつかないからだ。これについては、この本はあくまでも問題提起であり、今後、もっともっと議論していかないといけないという捉え方が良いのではないか、と思う。
たぶん、この本は「はじめに」を読んだら「あとがき」に目を通し、それから本文を読むのがいいと思う。そこには著者の問題意識が書かれている。
というわけで、あまりまとまってませんが、こんなところ。
ちなみに参考文献の中にはきくちさんと天羽さんのウェブページが挙げられている。どういう顔して池内さんがこれらのウェブページを読んでいたのか想像すると、ちょっと微笑ましかったり。
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まず、この本が対象にしているのはどういった人々か。ひとつには、(当たり前だが)岩波新書を読むような人である。つまり、一応、ソレナリには論理的・科学的思考の訓練がされている―あるいは、それができているかどうかはともかく、そういう思考に割りと触れている―人々である。おそらく、「あるある大事典」を見て納豆売り場に駆けつけるような人には、たぶんこの内容は届かない(いやもちろん、普段は論理的に考えられる人でもコロッと騙されるのが怖いところなのだけれど、まあ象徴的な意味で)。だから、実際は「入門」というような内容ではない。もちろん、エライ先生が「これはニセだよ」と言ってくれてるなあ、という程度には意味があるだろうけど。
では、ソレナリに科学あるいはニセ科学(疑似科学)について考えたことのある人にとってはこの本はどういう意味を持つか。
端的に言うと、この本の題名は「疑似科学入門」より、「『疑似科学』論・試論」ぐらいのほうが相応しいのではないか、と思う。著者は、さまざまな疑似科学を第1種・第2種・第3種と分類することを(試みとして)提案している。それは、多くのニセ科学(擬似科学)についての本が、様々なニセ科学を羅列的に取り上げ個別に批判するスタイルであり、疑似科学というものをどう捉えるか、系統だって考えるものがほとんどなかったから、ということである(実際そうだろう)。したがって、個別のニセ科学についての分析はあまり深くない(取り上げているものは幅広いのだが)。その意味で、この本のメインはニセ科学のメタ分析である、と言ってよいだろう。
ついでに言うと、伊勢田さんの『疑似科学と科学の哲学』が「疑似科学を通して科学を見る」本だとすれば、これは「疑似科学そのものを真っ向から見る」本である、と言えるかも知れない。
最近のニセ科学批判の文脈では、主に第1種・第2種の疑似科学が批判対象となってきた。今までにも、ニセ科学には色々なタイプがあり、すべてが同じような構造を持つわけではない、ということが指摘され、おそらくはほぼ(積極的に批判にコミットしている人々の間では)共通認識となっているといってよいであろう。それを大きく第1種・第2種に分類し、さらにそのサブカテゴリーとして各種ニセ科学を考えることは、一つの試みとしては考える価値がある。ただし、この本で提示された分類ではまだ不十分で、今後つめていく必要はあると思う。
さて、この本でもっとも注目すべきなのは、やはり第3種疑似科学についての分析だろう。ここは、以前から複雑系に注目してきた著書だけのことはあり、複雑系の本質を踏まえた分析になっている。
第3種疑似科学の例としては、「地球温暖化」「地震予知」「プリオンと狂牛病」などにまつわる事例が検討されている。もちろん、それ自体が疑似科学というわけではない。複雑系であるがゆえに、単純な分析によって結論を出してしまうと、容易にそれが疑似科学に転化してしまう、ということである。
複雑系の特徴は、現象を左右する過程が絡み合い、個々の過程を規定するパラメータの値が変化したとき、それが現象にどういう影響を及ぼすか、簡単には言えないところにある。しかし、通常の研究は、その個々の過程を詰めるところから始まる。たとえば二酸化炭素が温室効果を持つかどうか、のように。だから、個々の研究者としては、ついつい自分が研究した部分から全体に敷衍し結論を出しがちになる。しかし複雑系が絡むと厄介なのは、そう単純には結論まで持っていけないところだ。二酸化炭素の増加には地球の冷却をもたらす過程もあるのだ(いまのところ、結果的には温暖化に寄与するようであるが)。
二酸化炭素と温暖化は一つの例であり、決着がつくまでに多くの面からの考察が必要であることを示している。しかし、アカデミックな研究と違い、これらはなんらかの対応が迫られるものでもある。そこで著者が提案するのは「予防措置原則」だ。あるいは「リスク管理」と言い換えてもいいかもしれない。
まあそういう意味でいうと、最悪のケースを想定して、現状の判断としては起こりそうにないことでも万が一起きたら大変になることについては(たとえば遺伝子組み換え作物など)、予防的な研究を優先すべきだ、としているので、リスク管理の文脈で言われてきたこととそう大きな違いはないのかもしれない。
第3種疑似科学に陥りかねない現象は、政策決定とも絡むだけに分析が難しい。現象を規定する過程の一部だけを見ても判断がつかないからだ。これについては、この本はあくまでも問題提起であり、今後、もっともっと議論していかないといけないという捉え方が良いのではないか、と思う。
たぶん、この本は「はじめに」を読んだら「あとがき」に目を通し、それから本文を読むのがいいと思う。そこには著者の問題意識が書かれている。
というわけで、あまりまとまってませんが、こんなところ。
ちなみに参考文献の中にはきくちさんと天羽さんのウェブページが挙げられている。どういう顔して池内さんがこれらのウェブページを読んでいたのか想像すると、ちょっと微笑ましかったり。
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