江原啓之の書いたこと(5) | ほたるいかの書きつけ

江原啓之の書いたこと(5)

 もうイキオイで行きます。
 『日本のオーラ』第八章「仕事とは?お金とは? ―天職と『カルマ落とし』」より。

 様々な慈善事業(マイクロソフトやマクドナルドや渋沢栄一や松下幸之助など)について述べた後の江原の言葉。
 こうした社会貢献こそ、人や企業にとっての「天職」なのです。よく社会貢献とか慈善事業とか言うと、すぐに「偽善だ」と言い出す人がいます。スピリチュアル的には、「偽善でもオーケー」です。偽善と言われる行為にだって、それに愛を感じる人たちがいることは確かなのですから。「偽善」と批判しているだけで何もやらない人のほうが、よほど問題ではないでしょうか。
 スピリチュアル云々を除けば、私も基本的に賛成である。「やらない善よりやる偽善」なんて最近は時々目にするけれど、動機はなんであれ、やれば救われる人はいるわけで、やらないよりはいい(やる内容にもよるけれど)。

 しかし。
 スピリチュアル的には、動機が大切だったのではなかったっけ?まあ江原としては、ビル・ゲイツは崇高な動機で社会貢献している(あちこちに寄付をしている)ということなのかもしれないけれども、とはいえ上のようにまとめられると、どうも矛盾しているように見える。
 同じ章の一番最後の文章では、「私が常日頃言っていることですが、ここでも大切なのは『動機』であることを忘れないでください」と書いてある。だとすると、偽善はいけないということにならないだろうか?

 ところで、ビル・ゲイツなどの「大富豪」があちこちに多額の寄付をすることによって救われている人も多いのだが、私は手放しで褒める気にはなれない。それは善か偽善かと言う問題ではない。なぜ彼らがそんなに大富豪になれているのか、というところの問題を考えないわけにはいかないからだ。
 端的に言うと、こういうことだ。もっと労働者に給料払えよ、と。

 社会のシステムで救われるべき(どこまでを「べき」と考えるかはいろいろあるだろうが)人々を、一握りの個人の善意に委ねるのは、やはりどこか間違っていると思う。