江原啓之の書いたこと(4) | ほたるいかの書きつけ

江原啓之の書いたこと(4)

 お次は第七章「この世で戦争がなくならない理由 ―国と『カルマ』」より。
 なぜ戦争がなくならないか、という問題をたて、それについて次のように答える。
 人に「カルマの法則」が働いているように、国にもカルマがあり、「カルマの法則」が働いています。この法則は、簡単に説明すれば自らが播いた種は自分で刈り取るという法則です。
えーと、えーと、えーと。どう考えたらいいんだ?
 第一章で「○○の法則」というのを幾つか説明しているのだが、この「カルマ」には「因果」の文字が当てられ、「因果の法則」とも書かれている。たしかに因果があって戦争があるので、文脈を無視して「因果の法則」というコトバだけを切り出せば、あながち間違いとはいえない話だ。
 しかし、しかしである。江原はずっと「たましい」の話をしてきたのではなかったのか?それが大前提としてあって、その「たましい」を浄化するだのなんだのということで様々なことを説明してきたのではなかったのか?じゃあ「国」にも「たましい」があるってことなのか?江原的には「たましい」というのは何らかの「実体」(物理学的な意味ではなく)としての存在なんだろうが、国の「たましい」もそうなのか?「大和魂」があるって?いやそういう話じゃないだろう。

 いくつかのブログで、最近「呪術」の論理性が話題になっていたが、江原的「呪術」においては、局所的には論理を構築しているように見えるけれども、ちょっと考えれば、一冊の本の中でも矛盾点が存在することが明らかであり、とても体系として構築されうるものとは思えない。思えないのだけれども、ハマっちゃう人は、それが見えないんだろうなあ…。

 最後に、これまた章末の文章だけは意味があると思うので、載せておく。
 しかし、人間には「想像力」が与えられています。たとえ平時であっても、個々の生活のレベルで、戦時中と同じような体験や感動に思いを馳せることは決して素可能ではないはずです。日常の中でのシンプルな出来事は、実は大きな戦争とは地続きであるということ、その意識だけは持つようにしてください。個人個人が、日常の経験と感動から、いかに深く内観し、学び取っていくか。「戦争という経験」をしないですむためには、それが何よりの方法かと思われるのです。
いやこれはホント重要だと思います(「内観」についてはどういう意味で使っているのかわからないので、ここでは単に自分の心をふりかえるという程度の意味だと仮定する)。
 それがわかっているんなら、自分の言葉が日々生きている人にどのような悪影響を与えているか、想像してほしいものだ。