江原啓之の書いたこと(1) | ほたるいかの書きつけ

江原啓之の書いたこと(1)

 江原啓之の『日本のオーラ』ですが、靖国関係以外の部分にもツッコミどころが満載なので、紹介しないのがあまりにも勿体無く^^;;、ご紹介します。

 「第二章 主体性欠如世代の親、無垢世代の子ども ―子どもの問題と『物質主義的価値観』」より(こういう書き方が、また現代になんとなく問題を感じていて、しかし深くは考えていない人に訴えるんでしょうねえ)。この章の本題もまた問題点ありまくりなのだが、そこはおいておく。
 この章には、「霊」の種類について書いてある。江原が一番危惧しているのは「人霊の自然霊化」であると述べた上で、「少し専門的になります」と断った上で、こう続ける:
 この世にはさまざまなたましいが存在します。人間のたましいは「人霊」、犬や猫のたましいは「動物霊」です。では、「自然霊」とは何かと言いますと、この世に姿を持ったことのない霊です。稲荷(狐)、竜神なども自然霊です。狐や竜と言っても、動物ではなく、そのような姿をとって人間の前に現れるエネルギー体と考えていただくといいでしょう。
 「自然霊」にも、高級なものから低級なものまであります。私たちが「神」と呼ぶのは超高級なエネルギー体です。「狐憑き」と呼ばれる霊障で人間を困らせていた狐霊は、低級な自然霊です。この低級な自然霊がいまや日本、いや世界じゅうに増えています。(p.23)
 つまり、霊には少なくとも三種類あって、「人霊」「動物霊」「自然霊」である、そして自然霊はこの世に姿を持ったことのない霊で、神もその一つである、と。いや「エネルギー体」って何?とかツッコみたいところではあるのだけれど、そこはおいておく。
 で、この章の本題は、人間が物質主義に覆われ、自然霊界に対する感謝の心を忘れ、高級な自然霊はこの世から離れていき、未浄化な低級自然霊ばかりが残ってしまったのだ、と。そして感動や感性に乏しい人の心は、低級な自然霊と感応して、容易に同化してしまう、というわけだ。これが「人霊の自然霊化」の意味だそうだが、要するに、雑誌でよく見るような、三流評論家がテキトーに時代を解釈したものに、「霊」というコトバを被せたものにすぎないのだ、ということは、江原の文章の中身を見ればすぐにわかるだろう。

 さて、わけがわからないのが、次の文章。
 人霊と自然霊の違いは、その増え方にあります。人霊は母親がお腹を痛めて子どもを生むことで増えます。そこには情愛といったものが存在します。しかし、自然霊は「分霊」といって、分裂することで増えていきますから、そこには情はありません。いいものはいい、悪いものは悪い、白か黒か、二つに一つといった判断を下すのが特徴です。
 ええと、あれ?「人霊」って人のたましいなんだよね?「前世」があるってことは、生まれる前から「たましい」があって、それが赤ちゃんだか胎児だかに乗り移るかなんかして、再び「この世」に登場するのが江原の世界観だと思っていたのだけど、「人霊は母親がお腹を痛めて子どもを生むことで増えます」って…。
 前世なんかない、ということでいいのですかね。いや、ないんですけどね、そんなものは。