「創氏改名」 | ほたるいかの書きつけ

「創氏改名」

創氏改名―日本の朝鮮支配の中で (岩波新書 新赤版 1118)/水野 直樹
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 私が読んだり聴いたりするものは、No Image のものが多いような気がするのは気のせい?(^^;;
 それはともかく、創氏改名の実態についてのいい勉強になった。

 1940年に行われた創氏改名。それは、「創氏」の部分と「改名」の部分に分けて考えなければならない。日本の支配にとって特に重要視されたのは「創氏」のほうで、端的に言えば、それは朝鮮の人々が伝統的に「姓」でつながれた宗族集団の強い結束のもとにあったのを、(当時の)日本流の「氏」制度に置き換えることが目的であった。つまり、天皇制に基づく支配、「家長」が支配する個々の「家」が天皇に忠誠を誓うという構図にしたい日本政府(特に朝鮮総督府)にとって、血でつながれた宗族集団は支配にとって邪魔であり、解体すべき対象とされたのである。
 そこで、形式上は「自発的」に創氏を届け出るということにしながら、実態として様々な強制がなされ、最終的には(法で定められた届出をする6ヶ月間のあと)役所の職員が職権で戸主の姓を氏とした。反発は大きかったが、おそらく1940年という併合後30年が経過し日本支配末期(とはいえあと5年も続くのであるが)という時期であったためか、抵抗は個人レベルに留まったようである。創氏を届け出なかった知事が解任されたり、知事に創氏に反対する旨話したりしたことで逮捕されたり、陰に陽に強制されたようだ(どのように強制されたか、どのような抵抗があったかについては、詳述されている)。

 興味深いのが、創氏を押し付けた日本側が、必ずしも一枚岩ではなかったことである。創氏改名への反対が日本国内でも強かったそうである。しかし、その理由は決して民主的なものではない。反対が強かったのは主に警察で、要するに、名前が「日本風」になってしまうと、取締りが難しくなるから、というのである。「内鮮一体」のスローガンのもとで、実態は激しい差別がまかりとおっていたわけだ。
 様々な力学の結果、創氏(及び改名)は、あくまでも日本「風」が推奨された。もともと日本にはない氏をつけるように、という強い示唆が与えられたのである。このように、同化政策をすすめつつ、区別可能な氏に留めることで、差別的扱いを続行したのである。

 著者は朝鮮での戦時体制構築のための手法を「自発性の強要」と特徴付けているが、これは現代日本でも同じだろう。1988年暮から翌89年にかけて、前天皇が死去する前後、「自粛」がまさに強要されていたことを思い出す。映画「靖国」の自体も同じような側面を見て取ることができる。「自発性の強要」は、日本の支配について語る重要なキーワードかもしれない。

 この本執筆の動機のひとつは、2003年の麻生太郎発言、「創氏改名は、朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」だそうである。このような見方が実に一面的であることはこの本を読めば納得できる。その一方、当時の宣伝では、当然ながら朝鮮の人々が「自発的に」「喜んで」創氏改名を行ったように描かれている。それを見て育った当時の日本人-いまの年配の人々-にとっては、おそらくそれが「常識」になってしまっているのだろう。南京事件が日本から遠く離れた場所で起こった事件であり、そのため美化された情報を長い間信じ込まされた人々の多く(か一部か)が、戦後になっても(今に至るまで)多くの虐殺・強姦・略奪があったことを認めようとしないのと似ているのかもしれない。朝鮮の人々の、創氏改名に対する抵抗はほとんど報道されなかったのであるから。
 根深い問題は、やはり根深くなるだけの理由があるのだとあらためて感じる。