「にせユダヤ人と日本人」
このところやけに忙しく、ブログの更新もままならないので、そのうち機会があればとりあげようと思っていた本をこの際紹介したいと思う。
ありゃ、画像が出ないや。
それはともかく。
イザヤ・ベンダサンなる人物による「日本人とユダヤ人」という本がある。1970年の本だ。この「にせユダヤ人と日本人」という本は、神学博士である浅見定雄氏(当時、東北学院大学教授、旧約聖書学・古代イスラエル宗教史)が書いた本で、「日本人とユダヤ人」を徹底的に批判した本である。1982年に書かれたということだそうだ。
さて、その批判の中身であるが、これが学説同士をたたかわせるような批判かというとそうではない。そうではなく、イザヤ・ベンダサンによる「日本人とユダヤ人」に書かれてあることの多く-ほとんどと言ってもいいくらい-が、事実認識の段階で間違っていることを、プロの目から徹底的に明らかにされているのだ。
間違っていることは単に「ユダヤ人にとっての常識」についてだけではない。古代ユダヤと現代のイスラエルがごっちゃになっていたり、簡単な英語も訳せていなかったり、一冊の本の中で、平気で矛盾することが書かれていたり。これを読めば、イザヤ・ベンダサンなる人物のいうことは信用できない、ということがよくわかる。
ところでAmazonでこの本を検索すればわかるのだが、最近になって、同名の書が新書として山本七平名義で出ているのに気づくと思う。そう、イザヤ・ベンダサンというのは、山本七平のことなのだ。浅見氏は、すでにこの本の中で、イザヤ氏はほぼ間違いなく山本氏であろうと述べている(その後、山本氏は自らそのことを認めたらしい)。ということは、つまりこれを一度読んでしまうと、山本七平の書いたものはどうやっても眉に唾をつけて読まざるを得なくなる、ということだ。単にたまたま山本氏にユダヤに関する知識が足りなくて間違えたことを書いた、ということではなく、資料の吟味の仕方から論理の展開の仕方まで、山本氏の論者としての基本的な資質に重大な欠陥がある、ということがわかってしまうからだ。こんな粗雑な議論をする人の言うことは信用できない、と。
私がこれを取り上げたかった理由であるが、この本は4部構成になっており、その第1部が「日本人とユダヤ人」の直接の批判にあてられている。「直接の」、という意味は、「日本人とユダヤ人」の各章ごとに、原文を引用しながら批判している、という意味だ。つまり、原典批判になっているのだ。
「日本人とユダヤ人」だけでなく、山本七平のイデオロギーを背景にした粗雑な議論は、それだけで批判の対象になる。しかし、その上で、この本のように原文に即して執拗に批判をしているものがあると、それだけ全体の批判(浅見氏以外による)が説得力を増すと思うのだ。
私が「水伝」について原文を引用しながら批判したのも、この本を意識した部分がある。たとえば「水伝」について言うなら、私が「水伝」の問題をよくわかっていない人になにか参考になるウェブサイトを紹介するとしたら、このブログではなくてきくちさんの書いたもの や田崎さんの「『水からの伝言』を信じないでください」 やPSJ渋谷研究所Xの「『水からの伝言』の基礎知識」 をすすめるだろう。そのほうが圧倒的に問題点がわかりやすい。でも、さらに一歩すすんで疑問を持ったときに、そもそも元の文章はどうなっているのか、というレベルでの批判がどこかにあると、強いと思うのだ。それだけ重層的な批判ができている、ということを示すことになるから(だから、他にもTAKESANさんの「『ゲーム脳の恐怖』を読む」シリーズ もとても重要だと思う)。
ちなみにこの本を読んだのは、実は数ヶ月前。なんでまたそんな最近になって読んだか、というと、古本屋の100円コーナーで見かけたから。(^^;;
浅見さん、すいません。でも、この本に出会えてよかったです。
- にせユダヤ人と日本人 (朝日文庫)/浅見 定雄
- ¥459
- Amazon.co.jp
ありゃ、画像が出ないや。
それはともかく。
イザヤ・ベンダサンなる人物による「日本人とユダヤ人」という本がある。1970年の本だ。この「にせユダヤ人と日本人」という本は、神学博士である浅見定雄氏(当時、東北学院大学教授、旧約聖書学・古代イスラエル宗教史)が書いた本で、「日本人とユダヤ人」を徹底的に批判した本である。1982年に書かれたということだそうだ。
さて、その批判の中身であるが、これが学説同士をたたかわせるような批判かというとそうではない。そうではなく、イザヤ・ベンダサンによる「日本人とユダヤ人」に書かれてあることの多く-ほとんどと言ってもいいくらい-が、事実認識の段階で間違っていることを、プロの目から徹底的に明らかにされているのだ。
間違っていることは単に「ユダヤ人にとっての常識」についてだけではない。古代ユダヤと現代のイスラエルがごっちゃになっていたり、簡単な英語も訳せていなかったり、一冊の本の中で、平気で矛盾することが書かれていたり。これを読めば、イザヤ・ベンダサンなる人物のいうことは信用できない、ということがよくわかる。
ところでAmazonでこの本を検索すればわかるのだが、最近になって、同名の書が新書として山本七平名義で出ているのに気づくと思う。そう、イザヤ・ベンダサンというのは、山本七平のことなのだ。浅見氏は、すでにこの本の中で、イザヤ氏はほぼ間違いなく山本氏であろうと述べている(その後、山本氏は自らそのことを認めたらしい)。ということは、つまりこれを一度読んでしまうと、山本七平の書いたものはどうやっても眉に唾をつけて読まざるを得なくなる、ということだ。単にたまたま山本氏にユダヤに関する知識が足りなくて間違えたことを書いた、ということではなく、資料の吟味の仕方から論理の展開の仕方まで、山本氏の論者としての基本的な資質に重大な欠陥がある、ということがわかってしまうからだ。こんな粗雑な議論をする人の言うことは信用できない、と。
私がこれを取り上げたかった理由であるが、この本は4部構成になっており、その第1部が「日本人とユダヤ人」の直接の批判にあてられている。「直接の」、という意味は、「日本人とユダヤ人」の各章ごとに、原文を引用しながら批判している、という意味だ。つまり、原典批判になっているのだ。
「日本人とユダヤ人」だけでなく、山本七平のイデオロギーを背景にした粗雑な議論は、それだけで批判の対象になる。しかし、その上で、この本のように原文に即して執拗に批判をしているものがあると、それだけ全体の批判(浅見氏以外による)が説得力を増すと思うのだ。
私が「水伝」について原文を引用しながら批判したのも、この本を意識した部分がある。たとえば「水伝」について言うなら、私が「水伝」の問題をよくわかっていない人になにか参考になるウェブサイトを紹介するとしたら、このブログではなくてきくちさんの書いたもの や田崎さんの「『水からの伝言』を信じないでください」 やPSJ渋谷研究所Xの「『水からの伝言』の基礎知識」 をすすめるだろう。そのほうが圧倒的に問題点がわかりやすい。でも、さらに一歩すすんで疑問を持ったときに、そもそも元の文章はどうなっているのか、というレベルでの批判がどこかにあると、強いと思うのだ。それだけ重層的な批判ができている、ということを示すことになるから(だから、他にもTAKESANさんの「『ゲーム脳の恐怖』を読む」シリーズ もとても重要だと思う)。
ちなみにこの本を読んだのは、実は数ヶ月前。なんでまたそんな最近になって読んだか、というと、古本屋の100円コーナーで見かけたから。(^^;;
浅見さん、すいません。でも、この本に出会えてよかったです。