「水からの伝言」はどうやって作られているのか(1)
「水からの伝言」(以下「水伝」)が実際にやっていることについては、田崎さんの「『水からの伝言』を信じないでください」
に詳細にまとまっているし、つい最近、PSJ渋谷研究所Xのところでも、「『水からの伝言』の基礎知識」
が公開された。どちらもきちんと本質をおさえて丁寧に批判しているので、ぜひ御一読いただきたいと私も思っているのだけれども、元々の「水伝」のテキストに即した批判が見当たらないようなので、資料的意味も込めて、ここに記しておくことにする(どこかのサイトでされてたらすいません。ま、こういうのはあちこちにある方が、目に触れる確率も高くなると思うので、良しとしてください)。
彼らのいうところの「実験」(科学的な実験などと呼べるものではないことは既に散々指摘されているので繰り返さない)の方法については、「水からの伝言 vol.2」(以下「水伝2」)、「水からの伝言 vol.3」(以下「水伝3」)の巻末に掲載されているので、興味のある方は実物を参照されたい。
まず、「水伝2」には、どういう結果が出るもので、どうやって写真をピックアップしているのかがごく簡単に述べられている。批判する上で重要なので、全文引用しよう(p.139)。
「本著89ページ」には、「『蓮の花』の写真」と題して、4枚の写真がp.90とあわせて載っている。うち3枚は、上で引用したような結晶の写真である。残りの1枚は、蓮の花の写真の上に水の入ったビンが置かれたものを撮影したものである。縮尺が判然としないが、L判ぐらいの写真の上に、化粧水程度のサイズの、ラベル等は何も入っていない透明なビンが置かれている。蓋は白い。
この写真が何を意味しているかというと、江本流に言えば、蓮の花の「波動」(かなんか知らないが)をビンの中の水に転写している、ということだろう。この水をどう結晶にするかは後で述べるが、決して写真を見せながら結晶を作るわけではない。写真を見るのはビンに入っている間だけである。
「グラフ」は表とともに示されており、その内容は、
さて、引用した文章は、p.89の「『蓮の花』の写真を見せた蒸留水」についてのものであり、他のページについても同様にピックアップしているという保障は(引用した文章だけからは)ない。そこで、他のページでは違うやり方をしているという可能性もあるということを留保しつつ、とりあえずこれが全体を貫く方法であると仮定して話を進める。
まず、本文で紹介された3枚の写真は、「一番多く現れた不定形の結晶」のうちの3枚であるということだ。全部で50個の検体のうち、不定形が31枚と群を抜いて多い。これは、要するに結晶の作り方が悪いので、歩留まりが悪い、ということだ(これは kikulog でも何度も指摘されている。平松式人工雪発生装置などを使えば、子どもでも綺麗な結晶を簡単に作れる)。「水伝3」にも3例載っているが、そちらも不定形が50個中40前後と多い。そこで、もし一番多く現れたカテゴリーの結晶で代表させているなら、「水伝」に出てくる結晶は、ほとんどが不定形のものであると言ってよいだろう。
次に、本文に載せられる写真は、「江本会長がもっとも美しいと感じた3枚」だそうである。つまり、江本の主観によってピックアップされる写真が決定されるのである。
一つよくわからないのは、結晶ができなかったとされる水の場合である。「水伝2」には、祈祷前・後で結晶がどう変わるか、という記事が幾つか載っている。例えばp.123には「『琵琶湖の水にありがとう』祈祷前」、p.124には「『琵琶湖の水にありがとう』祈祷後」の写真が載っており、おそらく、祈祷前の写真は結晶無しに分類された写真と思われる。
彼らの方法では、歩留まりは悪いとは言え、全く結晶ができない場合がそんなに多いとは考えられないので、祈祷前についてはわざと結晶が出来ていないものをピックアップしたのではないか、あるいは「結晶が出来ない写真のほうが本質を表している」という江本の判断で結晶無しの写真が選ばれたのではないか、という疑念も生じるのだが、文章では定かではない。ただし、上で述べたように、一番多く現れたカテゴリーから選ぶのが共通ルールかどうかもわからないので、カテゴリー選びの段階から恣意的に行われている可能性も否定できない。
なお、評価点数は、この巻末に例として挙げられた蓮の花の写真の場合しか書かれていない。他の写真なり文字なりの場合、どのような点数だったかは定かではない。
***
書き出したら長くなりそうな気配が生じてきたので(またかい^^;;)、続きは次回に。
ただ、今回の部分だけ読んでも、江本らが何をやっているのかよくわからない部分が沢山あるということは理解できると思う。実験の手順がきちんとかいていないというだけでも、科学の実験としては落第である(これ以外にも落第である理由は山ほどあるが)。
繰り返すが、このエントリはあくまでも江本らのテキストに即した批判というのが趣旨なので、「水伝ってなに?」という疑問をお持ちの方は、冒頭に掲げたように、まずは田崎さんやPSJ渋谷研究所Xでまとめられた文書を読まれることを強く推奨します。
彼らのいうところの「実験」(科学的な実験などと呼べるものではないことは既に散々指摘されているので繰り返さない)の方法については、「水からの伝言 vol.2」(以下「水伝2」)、「水からの伝言 vol.3」(以下「水伝3」)の巻末に掲載されているので、興味のある方は実物を参照されたい。
まず、「水伝2」には、どういう結果が出るもので、どうやって写真をピックアップしているのかがごく簡単に述べられている。批判する上で重要なので、全文引用しよう(p.139)。
結晶写真・撮影記録についてなお同時に英訳文も掲載されているがここでは省略する。
私たちは撮影ごとに、結晶のでき方をグラフにして保存しています。たとえば、本著89ページでご紹介した「蓮の花の写真を見せた蒸留水」の結晶の場合、左のようなグラフになります。
グラフは左から、美結晶、美傾斜、六角形、放射状、格子、不定形、陥没、結晶なし……と別れています。一番多く現れた不定形の結晶の中から江本会長がもっとも美しいと感じた3枚です。ちなみに下の12枚も、同じ時に撮影した50枚のうちの一部です。
「本著89ページ」には、「『蓮の花』の写真」と題して、4枚の写真がp.90とあわせて載っている。うち3枚は、上で引用したような結晶の写真である。残りの1枚は、蓮の花の写真の上に水の入ったビンが置かれたものを撮影したものである。縮尺が判然としないが、L判ぐらいの写真の上に、化粧水程度のサイズの、ラベル等は何も入っていない透明なビンが置かれている。蓋は白い。
この写真が何を意味しているかというと、江本流に言えば、蓮の花の「波動」(かなんか知らないが)をビンの中の水に転写している、ということだろう。この水をどう結晶にするかは後で述べるが、決して写真を見せながら結晶を作るわけではない。写真を見るのはビンに入っている間だけである。
「グラフ」は表とともに示されており、その内容は、
- 美結晶:5
- 美傾斜:5
- 六角形:0
- 放射状:5
- 格子:2
- 不定形:31
- 陥没:2
- 結晶なし:0
さて、引用した文章は、p.89の「『蓮の花』の写真を見せた蒸留水」についてのものであり、他のページについても同様にピックアップしているという保障は(引用した文章だけからは)ない。そこで、他のページでは違うやり方をしているという可能性もあるということを留保しつつ、とりあえずこれが全体を貫く方法であると仮定して話を進める。
まず、本文で紹介された3枚の写真は、「一番多く現れた不定形の結晶」のうちの3枚であるということだ。全部で50個の検体のうち、不定形が31枚と群を抜いて多い。これは、要するに結晶の作り方が悪いので、歩留まりが悪い、ということだ(これは kikulog でも何度も指摘されている。平松式人工雪発生装置などを使えば、子どもでも綺麗な結晶を簡単に作れる)。「水伝3」にも3例載っているが、そちらも不定形が50個中40前後と多い。そこで、もし一番多く現れたカテゴリーの結晶で代表させているなら、「水伝」に出てくる結晶は、ほとんどが不定形のものであると言ってよいだろう。
次に、本文に載せられる写真は、「江本会長がもっとも美しいと感じた3枚」だそうである。つまり、江本の主観によってピックアップされる写真が決定されるのである。
一つよくわからないのは、結晶ができなかったとされる水の場合である。「水伝2」には、祈祷前・後で結晶がどう変わるか、という記事が幾つか載っている。例えばp.123には「『琵琶湖の水にありがとう』祈祷前」、p.124には「『琵琶湖の水にありがとう』祈祷後」の写真が載っており、おそらく、祈祷前の写真は結晶無しに分類された写真と思われる。
彼らの方法では、歩留まりは悪いとは言え、全く結晶ができない場合がそんなに多いとは考えられないので、祈祷前についてはわざと結晶が出来ていないものをピックアップしたのではないか、あるいは「結晶が出来ない写真のほうが本質を表している」という江本の判断で結晶無しの写真が選ばれたのではないか、という疑念も生じるのだが、文章では定かではない。ただし、上で述べたように、一番多く現れたカテゴリーから選ぶのが共通ルールかどうかもわからないので、カテゴリー選びの段階から恣意的に行われている可能性も否定できない。
なお、評価点数は、この巻末に例として挙げられた蓮の花の写真の場合しか書かれていない。他の写真なり文字なりの場合、どのような点数だったかは定かではない。
***
書き出したら長くなりそうな気配が生じてきたので(またかい^^;;)、続きは次回に。
ただ、今回の部分だけ読んでも、江本らが何をやっているのかよくわからない部分が沢山あるということは理解できると思う。実験の手順がきちんとかいていないというだけでも、科学の実験としては落第である(これ以外にも落第である理由は山ほどあるが)。
繰り返すが、このエントリはあくまでも江本らのテキストに即した批判というのが趣旨なので、「水伝ってなに?」という疑問をお持ちの方は、冒頭に掲げたように、まずは田崎さんやPSJ渋谷研究所Xでまとめられた文書を読まれることを強く推奨します。