連休の病院は静かだ。

仕切りのカーテンをじっと見つめながら、これからのことを考える。

まだ戦う力は湧いてこない。

これではダメだ。

こんな状態では戦えないのは自分がよく分かっている。




母親からは頑張れと言われた。もちろん家族はみんなそう思っているだろう。
期待されているのもわかる。
いつもなら、その期待に答えようとするだろう。

それも過度に。




私の人生は思えばとても変わった人生だった。
幼少期から波が激しい。あまりの激しさにおそらく全部話しても信じて貰えないだろうと思うくらいだ。


もともと大人しくのんびり絵でも書いていられたら幸せと思う性格だった私に、無情にも次から次へとトラブルは降り掛かってきた。今考えれば産みの母が、そのトラブルのほとんどだったかなとも思うが、旦那選びも失敗しているところを見ると私にも問題があるのだろう。


その度に心を鼓舞し奮起してハードルを乗り越えてきた。人間勢いがあれば大体のことはなんとかなるもんだ。


本当は"布団に潜り込んで何も見ず何も聞かず寝転んで居たい"



そんな本音とは裏腹に、物凄い馬力で全てを乗り越えてきた。私の道は進むしかなく、そしてその全てが急展開で痛みを感じている暇すらなかった。


乗り越える度にハードルは高くなり、最終的にステージ4Bの癌にぶつかった。



(これはもうダメなやつだ。)



誰がどう見ても、ダメなやつだ。
流石に万歳する時が来たと思った。神様がいるとしたら物凄いハードルの上げ方をしてくる。


こんなもの、常識的に考えて乗り越えられない。猿でもわかる。子供たちの為に私が動けるうちにできることを全てしなくてはいけない。時間はあまりない。


物凄い展開からの最終的な診断がステージ4Bの末期癌だったので一瞬


あれ?もうこれ止まっていいよって言われてんのかな?


なんて思ってしまったほどだ。そもそもだれに向けて言っているのか分からないけれど。




今回、なぜ回顧録という駄文を書いているのかというと


先日、産みの母に電話をしたからだと思う。


彼女と2人きりで過ごした長い時間はそれは酷いもので、今母親となった私には凡そ信じられないようなことをした、まあなんというか一言で言えば変人だ。変わった人だと思う。

特に憎んでもおらず、ただ人にはヒトを愛せる人間とそうでない人間の2種類がいるのだと言うことだけはよく分かった、そんな感想しかない。ただそれだけだ。


そんな母に電話をした。


「ママ、私癌になったんだよ」
「ステージは4。体感的にあまり長くないと思う。それだけなんだけどね」

そう言うと母は

「どこの癌なの」
「私が変わってやりたい」
「父にありがとうと伝えて欲しい」

と言った。



驚いた。心底驚いた。
そんな事が言えたのなら、その親心は40年前からお願いしたかったと少し笑ってしまった。


今だから出てきた言葉なんだろう。人は歳をとり死が近づいてくれば自ずと考え方が変わってくるのだなと、母を見て思った。


そしてそれは、恐らく私も同じで。


抗うことが正しいのかわからなくなってしまった自分にとって最後のハードルは正に自分自身なのかもしれない。