雪の会津と松平容保の悲劇

幕末、治安が悪化する京都の守護職に任命された松平容保。

会津藩が選ばれたのは藩主の能力と藩自体の力が優秀だったからだが、他の藩の武士の多くが役人と化しており、力の無い藩が大多数の中、戦国の気風を残していた会津藩は強かった。
実際、幕末の京都で会津藩預かりとして活躍した新撰組の近藤勇・土方歳三達は幕府天領である多摩の百姓出身者であり、戦国の世であれば先鋒を我こそはと争いあっていた三河武士の末裔の腰は完全に抜けており、最終的にもほとんど役に立たないまま戦争は終結した。

ちなみに、土方歳三は、京都~江戸~会津~函館まで転戦している。

【美しい雪の会津】
★東山温泉の雪舞台
日本の逸品 和風の美の素晴らしさ-ライトアップ
★会津鶴ヶ城天守閣
日本の逸品 和風の美の素晴らしさ-天守閣
★天守閣からの街並み
日本の逸品 和風の美の素晴らしさ-街並み