親の死と記憶・連想、遺品の力
親の死と記憶。
記憶があるから感情が湧いてくるし、涙も流してしまう。
うちは母子家庭だった。
父は私が3歳になった直後に勤務先の事故で亡くなった。
なので、記憶は一切ない。
そのため私は仏壇に手を合わせたりすることもほとんどなかった。
感情や動機がないので。
たまに手を合わせる時は母が入院した時などくらいだったかなあ。
私と違って妹達は帰省の度に手を合わせてたけど。
ただ、母は私を連れて事故現場に行き、父の死の現場を見た私はそれからおかしくなったそうな。
頭上から鋼材(?)が落下してバケツいっぱいに血が流れて体も小さくなってしまっていたらしい。
その話を聞いたのは結構大きくなってからで、血を見るのが凄く苦手だった理由が分かった気がした。
もしかするとショックを受けた時の何らかの記憶は残っていたのかもしれない。
ちなみに、父が亡くなったのは父の誕生日。
まさか自分の誕生日に突然亡くなるなんて思ってもみないよなあ。
父が亡くなった時、双子の妹と弟はまだ1歳になる手前。
父の死後におかしくなってしまった私を含めた3人の子供。
途方に暮れただろうなあ。
そして、おまけにその時には家(今住んでいるところ)を建築中だったと思われる。
家が完成したのは父が亡くなってから5か月後くらい。
それから引っ越ししたりしたんだろうけど、当然ながら記憶は一切ない。
父が亡くなってから引っ越ししたからか父に関連したものは家には全くない。
遺影があるだけ。
もしかすると探せば何かあるのかもしれないけど、母が大事なものをしまっていたところにも何もない。
一方、母の死は全然違う。
やはり記憶の有無の差はもの凄く大きい。
母も亡くなると父と同様に放置状態になってしまうだろうから生きているうちにしっかりと世話をしておこうと思っていたが、
全然違った。
毎日線香をあげているもんな。
そして、こんなに涙が出続けるとは思わなかった。
いくら介護してても結局後悔は残っちゃうみたい。
特に最後に悔いを残してしまったので、思い出すとどうしても悔し涙が出てしまう。
別居のままだったらまた違った後悔になったと思うけど、
在宅介護の10年間は密過ぎた。
あと、遺品も厄介。
記憶がよみがえり、母の想いなどを連想してしまう。
私は記憶力が悪いが、基本的に覚えてはいるものの思い出すことができないタイプ。
そのため写真を撮ったり、ブログを書いたりして記憶の元を残しているが、母の遺品もその類のものとなっている。
頭の回転も遅いので想定型、そのためつい連想までしてしまう。
一番ヤバいのは母が残した文字かなあ。
字が書けなくなる手前くらいになんとか書いた文字を見ると泣けてくる。
記憶と連想という点では私のものを整理していても出てくる。
母が送ってくれていたものとか。
これも母の自筆の文字があるとヤバい。
なので、今のところ母のものと私のものの整理・処分においてはなるべく連想に結び付かないものに限定して作業を行っている。
話は変わるが、犯罪や問題を起こした人が記憶がないと言ってるのを見るといつも思ってしまう。
記憶がないのに反省って本当にできるのだろうか?と。
記憶があって反省しない人が最も悪いが、記憶がないと言っている人に対しても罰を重くして実感してもらう必要があるのではないだろうか?
認知症などの病気の場合はどうしようもないけど。