国会前で「『安保法制』反対デモ」を繰り広げ、一躍有名になった学生団体『SEALDs(シールズ=自由と民主主義のための学生緊急行動)』。


ヘルメットにサングラス、マスク姿といった旧来の学生運動のスタイルとは異なり、ラップ調のコールで安保法制反対を訴えるSEALDsのパフォーマンスは、

リベラルを自称する左翼的知識人や左翼主義の既存メディアに「新しいムーブメント」と持てはやされた。

「新しいムーブメント」
とは言うものの、

安倍首相をヒトラーにたとえたり、

「アベ死ね」などと聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせたりする表現手段には、知性の欠片も感じられない。

「国家の安全保障」に関するSEALDsの認識と主張は、ただの感情論と妄想的思想でしかない。

SEALDsは、「『安保法制』とは“戦争法案”であり、この法案が通れば徴兵制が始まる」と主張してきた。


だが、『安保法制』は、「抑止力を高めることで他国から攻撃される可能性を低くする」のが目的だ。

もちろん、相手が攻撃してくる可能性がゼロになるわけではないが、

『戦争法案』とレッテル貼りし、「日本がまた戦争をする国になる」と断じるのは愚の骨頂だ。

さらに「安保法制で徴兵制が始まる」との論に至ってはただの妄想に過ぎない。


コイツらSEALDsをはじめとする左翼主義のバカどもは、ちゃんと『安保法制』の条文を読んでいない。

『安保法制』の条文を読めば分かるが、
「日本が戦争をする」とか、「日本が侵略戦争をする」とか、「徴兵制が復活する」などと『安保法制』の条文のどこにも書いていない。

もしかしたら、『安保法制』の条文を読んでも理解できないほど、コイツらSEALDsをはじめとする左翼主義のバカどもは知能が低いのだろうか。

だとしたら、救いようがないほどの悪い頭の持ち主連中ということになる。

こんなSEALDsをはじめとする左翼主義のバカどもの主張など、聞くに値しない。

本当に国際政治や安全保障に関する素養がある学生の多くは、SEALDsの主張を冷ややかに見ている。

なぜなら、「自分たちの意見のみが正しいという視点に基づくSEALDsの言説(“戦争法案”というワンセンテンスポリティックス)は許容できない」という意見が多いのが現状だからだ。

SEALDsに対する違和感の源泉がここにあるのだ。

「自分たちの主張こそが民意である」と疑わず、

「異論や反論から耳をふさぐ」という排他性は、ただの我が儘であり、クソガキの主張に過ぎない。


SEALDsと異なる価値観を一切受け入れない姿勢は、かつての極左過激派と何ら変わりはない。


SEALDsのデモやツイッターでは、「憲法を守れ」「安倍は辞めろ」のバカの一つ覚え。

SEALDsに都合の良い学者を取り込むばかりで、多様性を無視している。

おまけに、コイツらのデモでは「憲法解釈勝手に変えるな!」などと命令口調で安保法制賛成派を批判し、口汚く罵る姿勢は正にクソガキそのものだ。

意見をきちんと聞いてもらいたいなら命令口調はやめたほうがいい。

コイツらに同調する芸能人もだ。

特に、俳優の石田純一さん、あなたはちゃんと『安保法制』の条文を読みましたか?

SEALDsのデモに参加して、さんざん首相をこけ下ろして、「戦争法制反対!!」と叫ぶ姿に知性が感じられない。

あなたには「日本の国防」がどのようなものか理解できないのでしょうか?


SEALDsの言動を見れば、「本当に安保法制の反対を望んでいるのか、あるいは自己満足の世界に浸っているのか」が分からなくなる。

「戦争をするような国には住みたくない」という気持ちは分かるが、

それを叫んだところで中国の横暴が止まるわけではない。

SEALDsの論に倣えば警察も自衛隊も“暴力装置”ということになる。

とはいえ、それら自衛隊や警察に守られながら、「暴力はいけない」と叫ぶことにも大きな矛盾を感じる。

政治に無関心とされてきた学生がデモを主催し、今、この時代に国会前に3万人余り(警察発表)もの人々を動員したのは、シールズの一つの成果なのだろう。

だが、このまま対話を拒否し続け、独善的な主張を叫ぶだけであれば、いずれ運動はしぼみ、かつての学生運動と同じ道を歩む。

「互いに聞く耳をもつことで議論を深め、国民を巻き込んだ議論へと発展させられる」
ということを知るべきだ。

それすらできないなら、黙っとけ。

頭の悪さを露呈するだけだ。


日本に生まれ育ちながら、国防を考えない主張をするのなら、日本から出て行け!!