SAPIOの報道によれば、
ベトナム元憲兵の証言で、「慰安所で10代少女が韓国軍の相手していた」
ということが分かった。
ベトナム戦争中、韓国軍が多くの婦女子を強姦・凌辱した事実を本誌(SAPIO)は報じてきたが、
さらにこのほど発見された米公文書により、ベトナムに『韓国軍慰安所』が存在していたことが判明した。
韓国政府が沈黙を守る中、
フォトジャーナリストの村山康文氏と本誌(SAPIO)取材班はベトナムに飛び、その隠された史実を探った。
村山氏がレポートする。
書簡が作成されたと推定される1969年当時、サイゴンには韓国軍ベトナム司令部が置かれ、海軍輸送戦隊の『白鴎部隊』や空軍支援団の『銀馬部隊』をはじめとする多数の韓国兵が駐留していた。
その数は、8年間で延べ2万人に上る。
またサイゴンは前線で戦う兵士の休息地でもあったため、
「夜の歓楽街は連日、軍服姿で闊歩する韓国兵で賑わっていた」
という。
書簡で指摘された旧サイゴン市内のトルコ式浴場は食堂に姿を変え現存していた。
当時からこの付近に住む、元南ベトナム政府軍憲兵のグエン・ゴック・ビンさんは、
「この地域に軍服姿の韓国兵が増え始めたのは1968年ごろからで、ほぼ同時期に浴場がオープンしました。
建物はベトナム人女性が所有していましたが、彼女と親交のある韓国軍幹部と思しき人物が譲り受け、浴場を開業したのです。
当時、私は南ベトナム政府軍の兵士として米・韓両軍と連絡を取り合う立場にあったので、浴場が出来た経緯はよく覚えています」
と証言している。
ビンさんの記憶によれば、
浴場が営業していたのは1968年から1973年の半ばまで。
これは1973年3月に撤退した韓国軍のサイゴン駐留期間とほぼ重なっている。
韓国軍幹部が経営に関与していたのであれば、浴場は米書簡の指摘どおり「韓国軍による慰安所」だったと言って差し支えないだろう。
さらに、ビンさんは
「韓国兵は夜になると米軍のMP(憲兵)らとジープでこの辺りを徘徊し、酒を飲み大騒ぎしていました。
その勢いで浴場に遊びに行くのです。
店で働いていた女性は全部で7、8人。
いずれもベトナムの貧しい農村からやって来た10代の少女でした。
彼女たちは、毎日のように大勢の韓国兵の相手をさせられていた。
乱暴な扱いを受けることもあるらしく、韓国兵のことをとても嫌っていました」と証言している。
もともと韓国兵の慰安所として作られた浴場は、やがて米兵にも開放されるようになった。
「米兵が利用する際の料金は38ドルだが、
韓国兵は1回3~4ドルで利用できた」
とビンさんは証言する。
当時の韓国軍2等兵の平均月給は約50ドル。
米軍2等兵の月給が約240ドルだったことを考慮しても、韓国兵が優遇されていたことは明白だ。
さらに取材を進めると、旧サイゴン市内の各所で韓国軍の乱れ切った風紀を物語る証言を得ることができた。
当時を知る住民が語る。
「浴場から約1km離れた場所には、米軍MPの施設がありました。
その鼻先には売春斡旋を目的とするバーが建ち並び、韓国兵や米兵が入り浸っていた。
付近の『ブイ・ヴィエン通り』と呼ばれる歓楽街は売春婦のたまり場で、バーから連れ出したベトナム人女性を連れ込むためのモーテルもたくさんありました。女性を巡って兵士たちが殴り合う光景を目にしたこともある。
遊びに行く前に麻薬を使う者も多く、トラブルは絶えませんでした」
元南ベトナム政府軍の兵士だったタイン・アン・コンさん(仮名)も、
「サイゴンのブイ・ティー・スワン通りは、麻薬を扱う店が軒を連ねていたことから『麻薬通り』と呼ばれていました。
休暇のため前線から戻ってきた韓国兵は、空港からここに直行し麻薬を購入、使用してから女性を買いに行くのが恒例でした」
と話す。
韓国兵が女性を求めて繰り出す先は、慰安所だけに止まらなかった。
「5区にあるホアビン公園は別名『ダイハン(大韓)公園』と呼ばれていました。ここで商売をする女性を漁るため、毎日のように韓国兵が押し寄せたからです。女性はいつも20~30人ほどいて、韓国兵の間では『ホアビンの女は質が高い』と評判でした。
ただし、女性から聞かされるのは韓国兵の悪評ばかり。
女性が服を脱ぐ間もなく乱暴に押し倒したり、ことを終えた後に『お前は下手だ』と罵り、金を払わない韓国兵がいたからだそうです」(前出・コンさん)
これは、SAPIO 2015年6月号の報道記事だ。
調べれば調べるほど、韓国軍の蛮行は「これでもか」というほど出てくる。
旧・日本軍の『従軍慰安婦』問題は朝日新聞による完全な捏造と創作の賜物だが、
この韓国軍の慰安所は紛れもない事実だ。
つまり、韓国は韓国軍の蛮行を旧・日本軍の蛮行だとすり替えて言い張っているのである。
にもかかわらず、韓国の嘘を「真実だ」として賛同しているのが、村山富市・元首相、河野洋平議員をはじめとする左翼主義の政治家どもや、有識者と呼ばれる左翼主義の学者ども、人権派を自称する弁護士ども、左翼主義にどっぷり浸かったバカ教師どもだ。
そして、コイツら左翼主義者どものバイブルが日本最大の左翼主義のマスコミである朝日新聞だ。
コイツら左翼主義者どもによって日本は徹底的に貶められ、言われなき批判を受け、世界的に孤立した。
韓国をはじめ、コイツら日本国内の左翼主義者どもこそ、正しい歴史を学ぶ必要がある。
そうは思わないか?
ベトナム元憲兵の証言で、「慰安所で10代少女が韓国軍の相手していた」
ということが分かった。
ベトナム戦争中、韓国軍が多くの婦女子を強姦・凌辱した事実を本誌(SAPIO)は報じてきたが、
さらにこのほど発見された米公文書により、ベトナムに『韓国軍慰安所』が存在していたことが判明した。
韓国政府が沈黙を守る中、
フォトジャーナリストの村山康文氏と本誌(SAPIO)取材班はベトナムに飛び、その隠された史実を探った。
村山氏がレポートする。
書簡が作成されたと推定される1969年当時、サイゴンには韓国軍ベトナム司令部が置かれ、海軍輸送戦隊の『白鴎部隊』や空軍支援団の『銀馬部隊』をはじめとする多数の韓国兵が駐留していた。
その数は、8年間で延べ2万人に上る。
またサイゴンは前線で戦う兵士の休息地でもあったため、
「夜の歓楽街は連日、軍服姿で闊歩する韓国兵で賑わっていた」
という。
書簡で指摘された旧サイゴン市内のトルコ式浴場は食堂に姿を変え現存していた。
当時からこの付近に住む、元南ベトナム政府軍憲兵のグエン・ゴック・ビンさんは、
「この地域に軍服姿の韓国兵が増え始めたのは1968年ごろからで、ほぼ同時期に浴場がオープンしました。
建物はベトナム人女性が所有していましたが、彼女と親交のある韓国軍幹部と思しき人物が譲り受け、浴場を開業したのです。
当時、私は南ベトナム政府軍の兵士として米・韓両軍と連絡を取り合う立場にあったので、浴場が出来た経緯はよく覚えています」
と証言している。
ビンさんの記憶によれば、
浴場が営業していたのは1968年から1973年の半ばまで。
これは1973年3月に撤退した韓国軍のサイゴン駐留期間とほぼ重なっている。
韓国軍幹部が経営に関与していたのであれば、浴場は米書簡の指摘どおり「韓国軍による慰安所」だったと言って差し支えないだろう。
さらに、ビンさんは
「韓国兵は夜になると米軍のMP(憲兵)らとジープでこの辺りを徘徊し、酒を飲み大騒ぎしていました。
その勢いで浴場に遊びに行くのです。
店で働いていた女性は全部で7、8人。
いずれもベトナムの貧しい農村からやって来た10代の少女でした。
彼女たちは、毎日のように大勢の韓国兵の相手をさせられていた。
乱暴な扱いを受けることもあるらしく、韓国兵のことをとても嫌っていました」と証言している。
もともと韓国兵の慰安所として作られた浴場は、やがて米兵にも開放されるようになった。
「米兵が利用する際の料金は38ドルだが、
韓国兵は1回3~4ドルで利用できた」
とビンさんは証言する。
当時の韓国軍2等兵の平均月給は約50ドル。
米軍2等兵の月給が約240ドルだったことを考慮しても、韓国兵が優遇されていたことは明白だ。
さらに取材を進めると、旧サイゴン市内の各所で韓国軍の乱れ切った風紀を物語る証言を得ることができた。
当時を知る住民が語る。
「浴場から約1km離れた場所には、米軍MPの施設がありました。
その鼻先には売春斡旋を目的とするバーが建ち並び、韓国兵や米兵が入り浸っていた。
付近の『ブイ・ヴィエン通り』と呼ばれる歓楽街は売春婦のたまり場で、バーから連れ出したベトナム人女性を連れ込むためのモーテルもたくさんありました。女性を巡って兵士たちが殴り合う光景を目にしたこともある。
遊びに行く前に麻薬を使う者も多く、トラブルは絶えませんでした」
元南ベトナム政府軍の兵士だったタイン・アン・コンさん(仮名)も、
「サイゴンのブイ・ティー・スワン通りは、麻薬を扱う店が軒を連ねていたことから『麻薬通り』と呼ばれていました。
休暇のため前線から戻ってきた韓国兵は、空港からここに直行し麻薬を購入、使用してから女性を買いに行くのが恒例でした」
と話す。
韓国兵が女性を求めて繰り出す先は、慰安所だけに止まらなかった。
「5区にあるホアビン公園は別名『ダイハン(大韓)公園』と呼ばれていました。ここで商売をする女性を漁るため、毎日のように韓国兵が押し寄せたからです。女性はいつも20~30人ほどいて、韓国兵の間では『ホアビンの女は質が高い』と評判でした。
ただし、女性から聞かされるのは韓国兵の悪評ばかり。
女性が服を脱ぐ間もなく乱暴に押し倒したり、ことを終えた後に『お前は下手だ』と罵り、金を払わない韓国兵がいたからだそうです」(前出・コンさん)
これは、SAPIO 2015年6月号の報道記事だ。
調べれば調べるほど、韓国軍の蛮行は「これでもか」というほど出てくる。
旧・日本軍の『従軍慰安婦』問題は朝日新聞による完全な捏造と創作の賜物だが、
この韓国軍の慰安所は紛れもない事実だ。
つまり、韓国は韓国軍の蛮行を旧・日本軍の蛮行だとすり替えて言い張っているのである。
にもかかわらず、韓国の嘘を「真実だ」として賛同しているのが、村山富市・元首相、河野洋平議員をはじめとする左翼主義の政治家どもや、有識者と呼ばれる左翼主義の学者ども、人権派を自称する弁護士ども、左翼主義にどっぷり浸かったバカ教師どもだ。
そして、コイツら左翼主義者どものバイブルが日本最大の左翼主義のマスコミである朝日新聞だ。
コイツら左翼主義者どもによって日本は徹底的に貶められ、言われなき批判を受け、世界的に孤立した。
韓国をはじめ、コイツら日本国内の左翼主義者どもこそ、正しい歴史を学ぶ必要がある。
そうは思わないか?