さて、29日のお昼前ですが、編集が早めに終了しましたので、「『頭を鍛える日本史クイズ』 50」の正解を発表します。
では、もう一度問題を見てみましょう。
尾張正徳寺で、舅(しゅうと)の斎藤道三と会見した織田信長は、斎藤家の重臣から道三を紹介された際、道三を怒らせる発言をしました。
それは、どのような発言だったでしょうか?
次のA~Cの中から一つ選んで答えてください。
A.「であるか」
B.「義父といえども、ひとたび合戦に及べば容赦せぬ」
C.「なぜ、もう少し娘を厳しく躾(しつけ)られなかったのか?」
=解答および解説=
正解は、Aです。
天文22年(1553)4月、尾張正徳寺に着いた織田信長は、片袖を外した湯帷子(ゆかたびら)を着て、髪は茶碗髷(ちゃわんまげ)という奇妙ないでたちでした。
それを見かけた斎藤道三は、「あの程度の虚け者(うつけもの)がワシと会うというのか…。ならば、こちらも正装せず、着崩した服装でいい。」と言い、わざわざ正装を解いて、普段着で信長との会見に臨みました。
ところが、信長は髷(まげ)をきちんと結い直し、長袴をはき、正装して道三の前に現れました。
そして、目の前にいる普段着の武将が斎藤道三だと気づかぬ素振りをしました。
すると、その様子を見てたまりかねた道三の家臣の堀田道空が「こちらにおられる方は、山城守(道三)殿である。」と紹介しました。
しかし、信長はちらりと道三を見て、ただ一言「であるか…。」と、うなずいただけでした。
最初に見かけで判断して「信長は大したことがない奴だ。あのような異様ないでたちをするとは、まともな奴ではない。そんな人物にわざわざ正装して会う必要もあるまい。」と、侮ったのは斎藤道三の方である。
その道三の考えの裏をかいて、きちんと正装して会見に臨んだ織田信長は、武将としての礼儀をわきまえていたのです。
信長からすれば、無粋な格好で会見に臨んだ斎藤道三の方が失礼な人物であり、見下した態度をとっても仕方のないことだったのです。
自分の非礼を棚に上げて、信長に対して腹を立てる方がどうかしていますよね(^_^;)
では、もう一度問題を見てみましょう。
尾張正徳寺で、舅(しゅうと)の斎藤道三と会見した織田信長は、斎藤家の重臣から道三を紹介された際、道三を怒らせる発言をしました。
それは、どのような発言だったでしょうか?
次のA~Cの中から一つ選んで答えてください。
A.「であるか」
B.「義父といえども、ひとたび合戦に及べば容赦せぬ」
C.「なぜ、もう少し娘を厳しく躾(しつけ)られなかったのか?」
=解答および解説=
正解は、Aです。
天文22年(1553)4月、尾張正徳寺に着いた織田信長は、片袖を外した湯帷子(ゆかたびら)を着て、髪は茶碗髷(ちゃわんまげ)という奇妙ないでたちでした。
それを見かけた斎藤道三は、「あの程度の虚け者(うつけもの)がワシと会うというのか…。ならば、こちらも正装せず、着崩した服装でいい。」と言い、わざわざ正装を解いて、普段着で信長との会見に臨みました。
ところが、信長は髷(まげ)をきちんと結い直し、長袴をはき、正装して道三の前に現れました。
そして、目の前にいる普段着の武将が斎藤道三だと気づかぬ素振りをしました。
すると、その様子を見てたまりかねた道三の家臣の堀田道空が「こちらにおられる方は、山城守(道三)殿である。」と紹介しました。
しかし、信長はちらりと道三を見て、ただ一言「であるか…。」と、うなずいただけでした。
最初に見かけで判断して「信長は大したことがない奴だ。あのような異様ないでたちをするとは、まともな奴ではない。そんな人物にわざわざ正装して会う必要もあるまい。」と、侮ったのは斎藤道三の方である。
その道三の考えの裏をかいて、きちんと正装して会見に臨んだ織田信長は、武将としての礼儀をわきまえていたのです。
信長からすれば、無粋な格好で会見に臨んだ斎藤道三の方が失礼な人物であり、見下した態度をとっても仕方のないことだったのです。
自分の非礼を棚に上げて、信長に対して腹を立てる方がどうかしていますよね(^_^;)