さて、15日のお昼過ぎですが、編集が早めに終了しましたので、「『頭を鍛える日本史クイズ』 14」の正解を発表します。
では、もう一度問題を見てみましょう。
奈良時代。
藤原不比等の娘・安宿媛(あすかひめ)は、悲田院・施薬院を設立しました。
それはなぜでしょうか?
次の選択肢A~Cの中から一つ選んで答えて下さい。
A.藤原一門の権威を民衆に示したかった
B.仏教を厚く信仰していたので、慈悲による政治を願っていた
C.聖武天皇の病気回復を願った
=解答および解説=
正解は、Bです。
大宝元年(701)、藤原不比等と橘三千代の間に生まれた安宿媛(あすかひめ)は、霊亀2年(716)に聖武天皇の后(光明皇后)になりました。
仏教を厚く信仰していた光明皇后は、諸国から薬草を集めて貧しい人や身寄りのない病人に手当てを施してやりました。
悲田院は、貧者、病人、孤児などを収容する慈善施設だったのです。
そして、施薬院は、貧しい病人に施薬・治療をする病院だったのです。
では、もう一度問題を見てみましょう。
奈良時代。
藤原不比等の娘・安宿媛(あすかひめ)は、悲田院・施薬院を設立しました。
それはなぜでしょうか?
次の選択肢A~Cの中から一つ選んで答えて下さい。
A.藤原一門の権威を民衆に示したかった
B.仏教を厚く信仰していたので、慈悲による政治を願っていた
C.聖武天皇の病気回復を願った
=解答および解説=
正解は、Bです。
大宝元年(701)、藤原不比等と橘三千代の間に生まれた安宿媛(あすかひめ)は、霊亀2年(716)に聖武天皇の后(光明皇后)になりました。
仏教を厚く信仰していた光明皇后は、諸国から薬草を集めて貧しい人や身寄りのない病人に手当てを施してやりました。
悲田院は、貧者、病人、孤児などを収容する慈善施設だったのです。
そして、施薬院は、貧しい病人に施薬・治療をする病院だったのです。