今日から新たなブログ企画として、『戦国武将 永眠の地』シリーズをスタートします。


とはいっても、FireBlueが独断と偏見で選んだ武将なので、取り上げる武将が思いっきり偏ってしまうことはご容赦を<m(__)m>



その第1回目は、戦国を疾風のごとく駆け抜けた傾奇者・前田慶次郎利益梅鉢 です。



傾奇者(かぶきもの)。


それは、奇異な服装、派手な振る舞いや突飛な行動をする者のことをいう。


傾く(かぶく)とは、「斜に構えて見る」ということからきており、一般常識にとらわれず、物事を見ることをいう。



単に、奇異な服装をして派手に振る舞っているだけなら、ただの“乱暴者”に過ぎないが、


真の傾奇者は、己の掟のために命を懸けた。


それは、友への義、仲間に対する信、大切な者への愛だった。


富や権力に屈することなく、己の生き様を貫いた真の漢(おとこ)、それが傾奇者なのである。




前田慶次郎利益は、織田信長の知将・滝川一益 または、滝川益氏の子と言われており、出生については様々な説がある。


前田利家の兄・前田利久の後妻の連れ子として前田家に入ったことから慶次の歴史が始まる。


戦国武将としては病弱だった利久とは違い、慶次は身体も大きく頑健だった(一説には190cmを超える大男)。


また、幼少の頃、甲賀の里で育ったこともあり、忍びの技をも身につけていたそうである。


この前田慶次については、漫画『花の慶次 -雲のかなたに-』でも、その生涯が描かれており、読んだこともある人も多いはずだ。



また、慶次をめぐる武将で忘れてならないのが直江兼続、上杉景勝 である。


戦国の世を疾風のごとく駆け抜け、豪快に生きた傾奇者・前田慶次郎利益は、晩年はたった1000石で上杉景勝が主を務める米沢藩に仕えた。



慶次が眠る地は、晩年になって慶次が出家し、建てた無垢庵があった堂森善光寺(山形県米沢市万世町堂森山下375)だ。


そこには供養塔も建てられており、今でも多くの人々が訪れる。




次回の『戦国武将 永眠の地』をお楽しみに(^^)/