切支丹坂


読み: きりしたんざか


所在地: 東京都文京区小日向1-14と24の間の坂




その由来は…。



それは戦国時代にまで遡る。


戦国時代から江戸時代にかけて、キリスト教は固く禁じられていた歴史がある。


これは、「神の下では人間はみな平等。」とする教義が支配階級である武士の位を揺るがしかねないとの理由から危険視したことによるものだ。


日ごろから虐げられ、たとえ不作であっても年貢を納めなければならない農民たちにとって、支配階級である武士は憎むべき相手であった。


そこにもし、商人たちや職人たちが加わり、町人たちが加わると、大規模な一揆が発生する。


それを防ぐには、『人間はみな平等』とする考えを否定するしかないと考えた支配階級は徹底的にキリシタンを弾圧した(最も多くのキリシタンが犠牲となった1637年に起きた『島原の乱』が、その事実を表している)。


そのため、多くの宣教師やキリスト教徒が捕らえられ、有無を言わさず処刑された。


幕府は、島原の乱のような前例を出さないためにキリスト教徒の情報を収集する目的で(現在の茗荷谷駅の近くに)切支丹屋敷を作ったのである。


切支丹坂は、その切支丹屋敷に向かう坂だったのである。



そして、「こいつはキリシタンだ」という疑いがある者や、宣教師やキリスト教徒たちを切支丹屋敷に幽閉し、改宗を迫ったのだ。


1708年、ローマ教皇の使いとして来日してきたシドッティ神父もこの切支丹屋敷に幽閉された。


「宣教しない。」ということを条件に地下牢に閉じ込められることはなかったのだが、彼の世話係の夫婦に洗礼をしたことが発覚し、地下牢に閉じ込められた。


その後、神父は地下牢内で病死している。


1725年、江戸の大火により切支丹屋敷は全焼。


以後、再建されることはなかった。


今では、小さな石碑が当時の様子をひっそりと伝えている。




次回の『怖い地名 日本編』をお楽しみに(^^)/