将門塚


読み: まさかどつか


所在地: 東京都千代田区大手町1-2-1



その由来は…。



かつて、朝廷との戦に敗れ、斬首された平将門。


平将門は、平氏の姓を授けられた高望王の三男・鎮守府将軍平良将の子だ。


下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国衙を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷に対抗して独自に天皇に即位して「新皇」を自称した。


これによって、朝敵となった。


新皇として即位後わずか2ヶ月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。


斬首された将門の首は京都に運ばれ、晒し首にされた。


晒し首とは、はねた首を台に載せて3日間見せしめとして晒しものにする公開処刑のことだ。


首を晒す台を獄門台といい、高さ6尺(下部を土に埋めるので実際には4尺(約1.2m))の台に五寸釘を二本下から打ち、ここに首を差し込んで周りを粘土で固める。

夜は首が盗まれたり野犬の類が持っていかないよう桶を被せ、番人数名が火を焚いて寝ずに見張りをした。

獄門台の横には罪状を書いた捨札(すてふだ)が立てられたのである。


晒し首にされた際、将門の首は光を放って関東へと飛び去ったという。


将門塚は、その首が納められている塚なのである。


将門の怨念を鎮めるために造られたのだが、関東大震災で一度崩壊している。


これ幸いと、旧大蔵省は平将門の首塚跡地に大蔵省本館を建てようとしたが、工事関係者が相次いで怪死を遂げたため工事を断念。


マスコミも「将門の祟り」として大々的に取り上げるに至った。


そこで、将門の怒りと祟りを鎮めるため、再建し、手厚く祀られるようになったのである。



将門ゆかりの地は他にもある。


神田明神…平将門を神として祭った神社。元々は現在の将門の首塚の場所にあった。神田明神の「神田」は、将門の「からだ」に由来するという説がある。


築土神社…ビルの中に組み込まれるようにして建っている神社で、平将門を武道の神様として祀っている。日本武道館の氏神でもある。




東京の守護神として、また、祟り神として恐れられている平将門。


実際の人物像は、英雄であったという。


彼が護ろうとしたもの、そして、何を求めていたのか? 


興味は尽きない。




次回の『怖い地名 日本編』をお楽しみに(^^)/