小橋建太引退! | 堅忍不抜を目指したい

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昨日、2013年5月11日、プロレスラーの小橋建太選手が引退しました。

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全日本プロレス時代に、三沢光晴、川田利明、田上明と並んでプロレス四天王と呼ばれていました。四天王プロレスは闘いと言うよりも殺し合いと言ったほうがしっくりくるほど壮絶な闘いでファンを魅了しました。

2000年に三沢光晴がNOAHを旗揚げして、小橋もそちらに移りましたが古傷であるヒザの怪我の影響で長期離脱を余儀なくされました。

私もその頃にNOAHのプロレスにハマり、三沢、丸藤あたりが好きでした。

そして2003年3月11日に三沢光晴の持つGHCヘビー級王座に小橋は挑戦し、とんでもない死闘の果てに禁断の必殺技であるバーニングハンマーで勝利したのです。私はこの放送をビデオで録画し、何度も何度も観ました。

小橋のハーフネルソンと三沢のタイガース―プレックスの応酬に加え、三沢が終盤に出した場外へのタイガース―プレックス2003!!。解説の高山善廣が思わず「うわっ・・・」と漏らしたのを未だに覚えています。それに加え、三沢の必殺技エメラルド・フロウジョンをも跳ね返し、垂直落下のブレーンバスター、バーニングハンマーと言う流れでついにベルトを奪還したのです。

その後は王者としてどんな相手の技も全て受け切り、そのうえで最後は勝つというプロレスを見せ続け、「絶対王者」と呼ばれるまでになりました。一度、新日本プロレスの蝶野正洋と闘った時は実力の差をまじまじと見せつけ、私は蝶野選手が死んでしまうのではないかと思ったほどです。

その後も、2004年の東京ドームで秋山準と防衛戦をやり、こちらもプロレス大賞年間最高試合賞を獲得。その後は13回の防衛の果てにベルトを失いましたが、2005年7月18日東京ドームで佐々木健介相手に、これぞプロレスというとんでもない死闘を行いました。
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自分も興奮しっぱなしでしたね~。

しかし、2006年に腎臓ガンが見つかり、腎臓を一つ摘出。腎臓はタンパク質を操る臓器でスポーツ選手にとってはとても大切な臓器です。誰もが「小橋はもう戻って来ない」と思いました。


ですが、小橋建太はそんなものに負けるはずがありません。2007年12月2日に日本武道館で奇跡の復活!腎臓が無いのにもかかわらず死闘を見せつけ、観客、アナウンサー、解説の誰もが感動で涙したほどです。
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しかし、このあたりから小橋は第一線を退き、徐々に激しいプロレスは控えるようになりました。そんな中2009年6月13日、NOAHの社長であり小橋がずっと追いかけてきた三沢光晴が試合中に死亡。僕もこのときはマジ泣きしましたね~。でも、小橋は昨日まであくまでもプロレスラーとして満身創痍の身体で闘ってきました。

小橋建太の引退は正直悲しいです。しかし、彼の生き様は自分を勇気づけてくれますし、彼のプロレスは生き続けます。



小橋の何がすごいかというと、その努力です。彼はプロレス四天王の中で唯一スポーツのバックボーンが無く、京セラのサラリーマンでした。しかし、ジャイアント馬場に憧れ全日本プロレスの門を叩き、そこから尋常じゃない努力で下からトップまで登りつめました。ある日、中堅レスラーが永遠とトレーニングする小橋を嘲笑したところ、当時トップレスラーだった天龍に「お前らコイツを見て笑ってるけど、いつかコイツに食わせてもらう日が来るからな」と言い、事実本当にそのようになってしまったというエピソードがあります。

だからこそ、小橋のプロレスは人々を魅了するのかなと思います。
そして誰もが自分の努力次第でトップになれるということを証明してくれた選手でした。

小橋建太お疲れ様!私はあなたから本気で生きることを学んだような気がします。

残りの人生は奥様と素敵な道を歩んで行ってほしいです。

P.S
小橋の自伝が発売されるそうですね!即買いだ~!!



<画像提供・NAVER>