かつて、日本に『中川昭一』という政治家がいた事を覚えているだろうか?
中川昭一とは、どんな人物か?
中川氏は、東京大学法学部政治学科を卒業し、1978年4月に日本興業銀行(現・みずほ銀行)に就職した「銀行マン」だった。
5年後の1983年1月9日に、父の中川一郎衆議院議員が死去。その後、銀行を退職し、同年12月18日の第37回衆議院議員総選挙にて、一郎氏の地盤だった北海道5区(中選挙区)から自民党公認で立候補した。
ちなみに、一郎氏の秘書を務めていた鈴木宗男氏も北海道5区(中選挙区)から立候補したが、こちらは自民党の公認を得られず、無所属での出馬だった。
北海道5区(中選挙区)は、一郎氏から見て「息子vs元秘書」の戦いにもなったが、中川氏が2位以下を圧倒的な差をつけてトップ当選を果たした。鈴木氏も4位で当選し、その後、自民党に入党した。
中川議員はその後も選挙に勝ち続けた。
法学部政治学科の出身だった事もあり、法律や政治に明るかった。
銀行マンだった事もあり、財政や金融に明るかった。
ましてや、中川一郎氏の息子として、子供の頃から政治を見て育っている。世襲は「七光り」などと批判される事も多いが、良い面もたくさんあるのだ。
小渕内閣では「農林水産大臣」を務めた。
小泉内閣では「経済産業大臣」と「農林水産大臣」を務めた。
やがて麻生内閣になり、満を持して「財務大臣」「内閣府特命担当大臣(金融担当)」に就任した。
ココでは、主に麻生内閣時代の中川昭一財務大臣について語る。
●リーマンショック
2008年9月15日。
「Lehman Brothers Holdings」が経営破綻した。
サブプライムローンによる多額の不良債権を金融商品(デリバティブ商品)に混ぜて売り捌いた事によるものだが、これはウォール街によって意図的に引き起こされたものだった。これが原因で、世界規模で金融危機となってしまった。これが「リーマンショック」である。
同日、Merrill Lynchは、Bank of America Corporationに救済買収されると発表された。
後日、Goldman Sachsは、銀行持株会社を設立・移行し、FRBから直接資金供給できるようにした。
Morgan Stanleyも経営危機に陥ったが、Goldman Sachsと同様に、銀行持株会社を設立・移行し、更に、三菱UFJフィナンシャルグループと資本提携する事で難を乗り切ることとなった。
また、ロックフェラーはここでほぼ失墜した。
日本経済新聞 (2010.06.08)
●麻生内閣発足
2008年9月24日。
福田康夫内閣は総辞職し、麻生太郎内閣が発足した。麻生首相の下、中川昭一議員は「財務大臣」「内閣府特命担当大臣(金融担当)」に就任した。
Youtube動画
●G7「財務大臣・中央銀行総裁会議」
2008年10月10日。
G7「財務省・中央銀行総裁会議」(金融サミット)が行われた。
G7とは、日本、アメリカ、カナダ、イギリス、イタリア、ドイツ、フランスの7か国+EUで構成されている。
◎ROUND 1 - 日本 vs アメリカ
中川財務大臣は、ポールソン米国財務長官に対し、「アメリカは、銀行の不良債権を買い取る気があるのか。市場は、そこを見ている。」と発言。
ポールソンは、「それには議決権が必要だ。まずは、議決権のいらない株式の購入から。」と、「米国債を買え!」と言わんばかりに、事実上の圧力を掛けてきた。
中川財務大臣は、臆することなく、「金融危機を甘く見ないでほしい。今回、日本はアメリカを助けない。アメリカだから、自国の事は自国で処理できるものと期待している。」と、ポールソンの要求を跳ね除けた。
その時に迫られた額は1000億ドルから1兆ドルの規模だった。
◎ROUND 2 - 日本 vs IMF
中川財務大臣は、ドミニク・ストロスカーンIMF専務理事に対して、
「IMFの努力次第で、日本は、自国の外貨準備(米国債)を使って、IMFを資金面で融資する用意がある。」
「そちらの努力次第で、我々は融資する覚悟がある。」
と発言。
当時、日本には外貨準備高が約1兆ドル(90兆円相当)あり、世界では中国に次いで2番目の多さだった。
中川財務大臣は、IMFに二つの条件を出した。
(1)融資先はG7を対象外とする事。
(2)強行的な介入手法を見直す事。
外貨準備を使った融資計画は「中川構想」と言われた。
更に、外貨準備は、日本の手元にはなく、アメリカに管理されている実態も暴露した。
・Youtube動画
「危機をチャンスに変えろ」(前編) ~G20サミットの舞台裏 高画質
「危機をチャンスに変えろ」(後編) ~G20サミットの舞台裏
・docs google
●G7財務大臣歓迎式典
2008年10月11日。
G7財務大臣歓迎式典に出席した中川財務大臣は、北朝鮮に対するアメリカの「テロ国家指定解除」の話を耳にし、ブッシュ政権側に対して不満を持った。
Morgan Stanleyを資金面で支援したとしても、北朝鮮の制裁を解除され、日本が蚊帳の外に置かれてはたまったものではない。
●日本は現金自動支払機にはならない
G7から帰国後、中川財務大臣は「日本は黙ったまま世界のキャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払機)になるつもりはない」と猛抗議し、ブッシュ政権側(=ネオコン)には資金を渡さなかった。
・夕刊フジ (2013.09.27)
【お金は知っている】「日本は現金自動支払機ではない」 ホワイトハウスに猛抗議した中川昭一氏をしのぶ
・日本経済新聞 (2010.06.29)
●FRBの株主構成
2008年10月16日。
当時のFRBの大株主について、日本の国会で取り上げられた。大塚耕平議員(日本銀行出身)と中川昭一財務大臣(日本興業銀行出身)とのやり取り。
・Youtube動画
・国会議事録検索 (2008.10.16)
●破綻を宣言した国々
2008年10月22日。
ハンガリー、アイスランド、パキスタン、ウクライナ、ペラルージなどの、金融危機に見舞われた国々への融資を検討する事に。しかし、これらの国々を救済しようと思えば数百億ドルが必要で、下手すれば世界恐慌すらあり得たかもしれないレベルだった。
IMF (2008.10.22)
金融市場の低迷 の影響: IMF 金融危機に見舞われた国々への融資検討へ
東洋経済オンライン (2008.11.14)
●経済財政諮問会議
2008年10月31日。
経済財政諮問会議が官邸で開催され、金融危機への対策を協議した。
内閣府
●金融世界経済に関する首脳会合
2008年11月14日。
第1回G20首脳会合(金融サミット)がワシントンD.Cで行われた。
リーマン・ショックを契機に発生した経済・金融危機に対処するために、G7を含む20カ国の首脳が参加して開催される国際会議となる。
麻生首相は、この席で「この案に賛同していただけるなら、日本から最大1000億ドルを融資する用意がある。」と発言した。10月に中川財務大臣が述べた事と同じ内容で、金額まで提示された。
この時、南アフリカ大統領は、日本がアフリカ諸国の発展に貢献してくれた事を感謝した。
●改革のための原則を実行するための行動計画
2008年11月15日。
そのような経緯で、「改革のための原則を実行するための行動計画」が打ち出された。
(1)2009年3月末までの措置
(2)中期的措置
これら二つの期限を設けた47項目の措置が盛り込まれた。
日本が提案したのは15項目あったが、そのうちの12項目が宣言文に明記された。日本の提案はほぼ通った形となり、それをベースにして進む事となった。
また、これらの実施を点検するため、2009年4月末までにG20金融サミットを開催することでも合意した。
外務省 (2008.11.15)
財務省 (2008.11.15)
●アメリカは、ブッシュ政権からオバマ政権へ
その頃。
2008年11月4日、アメリカ合衆国大統領選挙が行われ、Citigroupのポチであるバラク・オバマ氏(民主党)が当選した。
2009年1月20日、バラク・オバマ氏がアメリカ第44代大統領に就任した。(任期は2013年1月20日まで)
●IMFへの融資
2009年2月13日。
中川財務大臣は、外貨準備高の一部「1000億ドル(9兆円相当)」をIMFに拠出するとして、資金提供に関する融資取極に署名・調印した。
IMFからの融資は100%の返済が保証されているため、二国間での直接融資よりも安全である。
ストロスカーンIMF専務理事は、「これまでの人類の歴史上で最大規模の貢献だ!」と、日本を絶賛した。日本は世界からも大絶賛されたが、日本ではほとんど報道されなかった。
しかしながら、この融資により、パキスタン、ウクライナ、ベラルーシが救済される事となった。
・IMF (2009.02.13)
●外貨準備
日本政府は、円高方向に急激な動きが見られた場合、為替介入(円売りドル買い)をする。円高になると、日本の輸出産業に悪影響が出てしまうためだ。
それによって得た米ドルで米国債(短期証券)を購入して保有している。ゆえに、外貨準備は「米ドル建て」であり、税金(日本円)ではない。
また、米国債は、「外国為替資金特別会計」(外為特会)に含まれる。
これを使う場合は、一旦、米ドルを円に換金しなければならず、更に、ドル売り円買いをしなければならない。それをやると為替相場に影響が出て円高を誘発してしまうので、使用する機会はかなり限られる。
・通貨当局が急激な為替相場の変動を抑制する時(為替介入)
・為替変動や通貨危機などにより、他国に対する外貨建て債務の返済が困難になった時
ゆえに、米国債は、いわゆる「塩漬け」の状態となっている。
中川財務大臣は、この米国債を担保に「融資」という形で使う事ができると考えた。米国債が流通する…ずっと積み上がったままの米国債の一部を手放せる。これが円高を引き起こし、米ドルは暴落する。
米ドルの価値を維持したい米国金融が、それを許すはずがなかった。
・「米国債を買え」というブッシュ政権側の圧力を跳ね除け、支援しなかった。
・IMFには外貨準備金(米国債)を提供し、日本円には直接手をつけずに欧州や南アジアを支援。
・米ドルの暴落。
米国民主党やネオコンを支配する米国金融が、中川氏をターゲットにするには十分な理由だった。
●金融サミット会議とローマ会見
2009年2月14日。
イタリアはローマにて、「G7 財務省・中央銀行総裁会議」(金融サミット)が行われた。
会議終了後にG7昼食会があり、中川財務大臣は13時頃に途中退席し、別のところで「親しい人たち」数人と会食した。
会食後、日本銀行総裁・白川方明と財務官・篠原尚之との共同記者会見に臨んだ。
しかし、会見時の中川財務大臣の様子は明らかにおかしかった。足元がおぼつかない、ろれつが回らない、アクビをする、目が虚ろ。滑舌が悪く言い間違いも多々あり、質問した記者を見つけられずに「どこだ?!」と叫ぶ事もあった。
「酩酊会見」「深酒居眠り会見」などと言われたが、決してそうではなく、明らかに仕組まれていた。
●財務大臣を辞任
ローマ会見の様子は、マスコミに大きく取り上げられる事となり、世間からも批判を浴びる事になった。中川財務大臣は釈明をしたが、批判は収まらなかった。
2009年2月17日。
これを受け、中川財務大臣は予算案及び関連法案の衆議院通過を待って財務大臣の辞任を決断した。
Youtube動画
●衆議院解散~衆議院議員総選挙
2009年7月21日に衆議院は解散した。
自民党
2009年8月18日。
第45回衆議院議員総選挙、公示日。
中川氏は、北海道第11区(小選挙区)から出馬。
選挙運動時には、謝罪回りをし、断酒宣言も行った。麻生総理や安倍晋三元総理も応援に駆け付け、民主党の公約や日本国旗への侮辱などを批判した。
2009年8月30日。
第45回衆議院議員総選挙、投開票日。
中川氏は、比例復活もできずに落選してしまい(惜敗率75.7%)、一郎氏から守り続けてきた議席を失ってしまった
その時に当選したのが、民主党の石川知裕であった。小沢一郎の私邸に書生として住み込み、私設秘書も務めた。(2010年1月に政治資金規正法違反で逮捕)
この選挙で、自民党は大敗し、悪夢のルーピー民主党政権が誕生してしまった。
2009年10月4日の朝。
自宅で死亡しているところを発見される。(死亡日は10月3日)
あまりにも突然で、衝撃を与えた。
中川一郎氏→中川昭一氏と繋いできた地盤の北海道第11区は、中川氏の妻の郁子(ゆうこ)氏が受け継いだ。第46回(2012年)、第47回(2014年)は堂々の小選挙区での当選。
しかし、第48回(2017年)は、比例復活もできずに落選した。(惜敗率83.6%)
その時の相手候補が、石川知裕(当時、陸山会事件有罪判決による公民権停止処分中)の妻である石川香織(立憲民主党・新人)であった。
●ストロスカーン氏も失脚
ストロスカーン氏は、2012年の大統領選挙でも有力候補と思われた。ところが、2011年5月14日に性的暴行容疑で逮捕・訴追されてしまった。
2011年5月18日にIMF専務理事を辞任する旨が発表された。この事件をキッカケに、過去のトラブルやスキャンダルも取り沙汰されてしまい、大統領選挙には出馬しなかった。
●国益のために動く政治家は徹底的に叩かれる
金融街・戦後体制側のマスコミは、国益のために動く政治家を徹底的に叩く。中川氏はそのターゲットの一人であった。そんなマスコミの情報操作に、日本国民も踊らされてしまった。
今でこそ「中川昭一は素晴らしかった!」「総理大臣になるべき人だった!」など、称賛される事が多いが、あのローマ会見以降から死去するまでの間に、中川氏をそのように称賛した人はほとんどいなかったのではないか。それは選挙結果でも証明されている。全ては、北海道第11区の有権者が下した審判だった。
中川氏の死を無駄にしないためにも、日本国民はマスコミの情報操作に踊らされる事があってはならない。
・金融街の意向に逆らい、国家の国益のために動く政治家は、徹底的に叩かれる。
・金融街の意向に従う政治家は、徹底的に持ち上げられる。
戦後体制勢力のそうした性質を理解する事が重要だ。
●中川昭一は素晴らしい政治家だった
人生に「たられば」は禁止だが、もし今も存命していたら間違いなく総理大臣になっていたうちの一人だった。
たった一つ、欠けているものがあったとすれば、「暗殺リスク回避能力」であろうか。戦後体制に抗い、ネオコンブッシュに突っ掛ってしまい、米国金融にターゲットにされてしまった。
だからこそ、二度と中川昭一氏(と、小渕恵三氏)のような事が起こらないよう、盟友の安倍晋三と麻生太郎は「暗殺リスク回避能力」を強化して動いているのだろうし、直接対決はせずに外堀から固めていく戦法を取っている。
敵は金融勢力・戦後体制勢力だ!
中川氏の遺志を受け継いだ安倍晋三と麻生太郎であれば、中川氏が望んでいた日本を切り開けると信じる。
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