このごろ、なんだか前向きなりささん。
ちょっと前には、「りさは2016年になったらママに勉強を要請する。」というので、「まじか~。なんやったら家庭教師でもつけたるで。」というと、「いや、やり方は自分で決めるし。家庭教師はいらん。わからなかったら中学の先生かママに聞く」だって。
まじですか。でもママに聞くのはやめておいた方が親子関係のためだぞ。
あと、「ママのいっていた高校(中堅どころの府立高校)にりさ行けるかなぁ?」というので、バカ正直に「このまま中学に通う気がないのなら、入試をクリアするのは難しいだろう。」と答えると、「じゃありさは通信制高校がいいかな」とか言ってました。
こういうことを口にするだけでもすごい進歩とエネルギーだと思うのです。
それと、新しい年を迎えるにあたって、「何とか進歩しないと」とあせっているサインでもあります。
だいたいこのころになると体調も悪くなってくるので。
本当に行動に移すまで、じっと我慢の子で見守ります。
先日、職業評価を受けた話をりさにして、「教科書に出てくるあのふにっとしたマークの割り算、やり方きれいさっぱり忘れてできへんかったわ。でも何の支障もないもんなぁ。」と話したら、「じゃあ、りさもそんな勉強しても無駄やん」といわれてしまったのです。
やばい、やばいのか?う~ん・・・・・。
考えて私が言ったのは、「確かにあのやり方は忘れても全く影響はないけれど。まぁ、教科書的やり方を知っているという経験にはなる。標準的テクニックというか。でも確かに割り算の意味を理解していて、何らかの方法で割り算ができたら別にいいのかもしれない。」
と迷いに満ちた答えなのでした。
ときどきりさと話していて感じるのは、彼女は独特な物事の理解の方法や漢字などの覚え方を考えているということ。「漢字は左の部分とかは同じのが多いんだから、それで覚えて行ったらいいやん」といいながら、とんでもなくマニアな漢字を見つけて喜んでいたり。
そうした理解の仕方をいかして学んでいけたらいい。
というより、標準のやり方を押し付けたらきっとまた苦しくなる。
そんな気がするのです。
それを手伝ってくれる人がいたらいいのかもしれないけど、りさはきっと自分で考えたいんだと思います。
自分で決めること、自分で考えること。
今の学校で許してもらえないこと。
だけど本当は一番大切なこと。