年末は私が付き添い登校を始めて、週3回はなんとか学校に行っていたりさ。
だけど、始業式からさっそく行けなくなってしまいました。
理由は「しんどい」 「熱が出た(本当に出た)」 「お腹が痛い」 などなど。
りさは、「ママが機嫌悪かったり、勉強しろって言ったら心が傷つくねん。りさはママと楽しくママと遊びたい。友達とも遊びたい」といいました。
1月も半ばになった時、ついに私は実家のトイレで「こんなに醜くなってどこにも行きたくない」と泣きました。
ストレスで5キロくらい太って以前の服が入らなくなってきていました。
私の心療内科の主治医は「泣けてよかったなぁ」といいました。
ほんと、そうだなぁと今では思います。
どこかでこのしんどさを吐き出さなければおかしくなりそうだったから。
その頃、実家の隣のおばちゃんに「学校は行かせなダメよ」と言われて、「それじゃどうしたらいいんですか!」と道端で大泣きしました。
ほんとにつらかった。
1月20日、それまでずっと休んでいたりさが、9時から学校に行くというので、学校に電話を入れてから一緒に学校に向かいました。
すると、校舎を見て「気持ち悪い、しんどい」と震えだしたのです。
「教室にはいきたくない」というので、とりあえず校長室に行きました。
「それじゃ、いま多目的室は使っていないのでそこにいてください。絵本の展示もしてあるから楽しいよ。」
と、親子で多目的室に放置されました。
担任は休み時間に慌てて一瞬顔を出すだけ。
2時間目の終わりにはりさが限界になったので、帰ることにしました。
すると、間の悪いことにクラスの子たちの集団と鉢合わせしてしまいました。
りさは固まってしまいました。
クラスの子は「もう帰るの?いいなぁ、ずるい」と言ってきます。
傷口に塩を塗りこむとはまさにこのことだなと思いました。
りさは言いました。
「教室には入りたくない。お友達が遠くなる」
「学校は行かなあかんところなんやろ」
次の日、ひとこと「休むから」。
うん、もういいよ。行かなくても。と思いました。
それでも夕方に学校に行って、先生とDSをしたり、「ベストを縫いたい」といって隣のクラスの女の先生にプレゼントしたりしていました。
学校に行かなければ友達と遊べないと、りさは思っていました。
1月の末、病院で入院することを勧められました。
「家から離れてリラックスして、友達にも『入院してたんだ』と思われるからいいと思います。」と先生は言いました。
それもいいかもしれないと疲れきっていた私は入院の予約をしました。
私も付き添いという形で24時間一緒です。
もう「学校へ行く?」と聞かなくなって、休むのがあたりまえになったこの頃、りさは「しんどい」「休む」と言わなくなりました。
このあたりから放課後登校のみになります。
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