長暦三年(1039年)十二月しわす十八日,わたしは三十二になっていました。

 

宮仕えから十日ほど経って,宮からお下がりさせてもらいますと,父と母が四角火鉢に火などを起こして,わたしを待っていました。

 

わたしが牛車より降りたのを見るなり,父が,

 

「お前が居るときには,来客の出入りもあって,下仕えの者なども居たのだが,この数日というものは,来客の声もしないで,わたしの辺りには人の姿も無く,たいそう心細く辛い思いをしていた。

このようにばかり宮仕えの仕事をして,このわたしの身を一体どうしてくれるのだろう。」

 

としきりに嘆き泣くのを見るのも心より悲しい思いでした。

その翌朝も父が,

 

「今日はこのようにお前が居るので,家の外も中も人の出入りが多く,この上なく賑わしくなっていることだよ。」

 

と何度も言っては差し向かいで,家の中に居るのも,とても愛おしくもの悲しく思われて,このわたしに何の取り柄があるのだろうと,それは涙ぐましく父の言葉を耳にすることでした。。

 

(「我を頼む父母」 口語要約文と段付け,「」タイトルはfiorimvsicali。)

 

 

 

「十日ばかりありてまかでたれば,父母,炭櫃に火などおこして待ちゐたりけり。

 

車より降りたるをうち見て,

 

「おはする時こそ人目も見え,さぶらひなどもありけれ,この日ごろは人声もせず,前に人影も見えず,いと心細くわびしかりつる。かうてのみも,まろが身をば,いかがせむとかする」

 

とうち泣くを見るもいと悲し。つとめても,

 

「今日はかくておはすれば,内外人多く,こよなくにぎははしくもなりたるかな。」

 

とうち言ひて向かひゐたるも,いとあはれに,なにのにほひのあるにかと涙ぐましう聞こゆ。」


【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】